朝6時過ぎ、窓の外でかしましい鳩のおしゃべりに目が覚めました。カーテンを開けば、雲ひとつないよい天気。これはもったいないと、メリダ市内を散歩することにしました。

メリダはユカタン州の州都で、16世紀以来スペイン軍による植民都市として発展した歴史を持ちます。碁盤の目のように東西に走る道は歩きやすく、ホテルを出て南へ数ブロックのソカロに出てみると、美しいピンク色の市庁舎や由緒ありげなカテドラル、そして植民都市としてこの町を支配したフランシスコ・モンテホの家が広場を囲んでいました。

モンテホの家は、入口の上の装飾が特徴的。スペインの武人の足の下に原住民の首が悲鳴を上げているような表情を浮かべており、支配者としての優越的地位を誇示しているようです。これに対して、市庁舎の中の壁にはメキシコのスペインからの独立を描くさまざまな絵。

ホテルに戻って朝食をとってから、迎えのバスに乗り込みました。バスは市内をぐるぐる回ってあちこちのホテルから客を集め、その総勢は15人ほど。スペイン語客と英語客の混載で、カウボーイハットがかっこいいガイドのギルメルは説明のたびに二つの言語で同じことを繰り返しています。バスはメリダ市街から南へ向かい、途中未完成の立派な教会やフレッシュな果物が並ぶ市場がある町、道沿いの草葺きの家などを眺めながら1時間余りでウシュマル遺跡の入口に着きました。

ゲートを通る前に、腕には入場料支払済みであることを示す黄色いテープが巻かれます。ゲートから緩やかな道を下ると、すぐ目の前に立派なピラミッドが現れました。これが有名な、魔法使いのピラミッドです。大喜びの一同はさっそくバシバシと写真を撮り始めましたが、ここでギルメルから注意が飛びました。「私の解説の後に、写真を撮る時間もちゃんととりますから、まずは私の話を聞いて下さい
」。すみません……。

ウシュマルは、チチェン・イッツァと並んでユカタン半島の最も重要な祭祀センターであり、西暦625年から800年頃の古典期中期に栄えました。これは、南の密林地帯ではティカルとカラクムルの抗争と、その後のティカルの繁栄期に相当します。この頃に造られた建造物は、複雑な幾何学模様やチャック(雨神)像が壁面を覆うプウク様式と呼ばれるマヤ独特の華麗な装飾が特徴です。その後1000年頃になるとテオティワカン後にメキシコ中央高原を支配したトルテカ文明のシウ族が進出して、ケツァルコアトル信仰もこの地にもたらされましたが、ウシュマルの建造物群への影響はごくわずかだったようです。

ウシュマルで最も特徴的な建造物が、このピラミッド。伝承の中で、ウシュマルの王から一夜で宮殿を築くように命じられた小人が魔女である母親の力を借りて作り上げたとされることから「魔法使いのピラミッド」と呼ばれており、非常に優美なカーブを描くその外観は他に例を見ないものです。なお、上の写真は東、つまり裏側で、遺跡公園に入ってこのピラミッドの背面をまっすぐ見上げる位置で手を叩くと「キュン!」という高い音のこだまが返ってきます。

こちら、現在のウシュマルの住人であるイグアナ。のんびりひなたぼっこをしていましたが、近づいてみれば意外に敏捷。あっちにもこっちにもいました。ピラミッドの周辺は今は芝生になっていますが、かつてはやはりティカルと同様に(おそらく石灰で)コーティングされており、それが集水装置としての役割を果たしていたようで、井戸穴のような遺構もありました。

こちらが尼僧院側、つまり本来の正面から見たピラミッド。確かにこの形状を見ても神秘的ですが、もちろん本当に一夜で築かれたはずはなく、実際には8世紀から300年間の間に神殿の上に神殿を重ねるかたちで拡大したもので、内部に4つ、頂上に1つの合計5つの神殿を擁しています。また、階段の横や頂上部は雨神チャックの顔で装飾されているのを見てとることができますが、階段を登ることは禁じられていました。「他に例を見ない」と先ほど書きましたが、この階段の急勾配はティカルを連想させるものがあります。

ガイドのギルメルに引率され、典型的なマヤアーチをくぐって尼僧院へ。広い中庭を四つの細長い建物が囲んでおり、全部で88もの小部屋があるのでスペイン人たちは「尼僧院」だと考えたようですが、実際には宮殿だったようですし、ギルメルは議会(Senate)でもあったと言っていました。また、彼の解説によればこの広場を囲む東西南北の建物には、北に11、東に5、南に8、西に7の窓があって、カレンダーの役割を果たしているとのこと……ですが、マヤ暦に31日(キン)をひとまとめとする単位ってあったかな?さらに東西南北とその中央には色と意味が与えられており、北は白=星、東は赤=生命、南は黄=トウモロコシ、西は黒=死、そして中央の天地軸の色は青緑だというのもギルメルの解説です。

こちらは尼僧院の建物の角に縦に連なる雨神チャック。ゾウのような鼻が特徴的。この河川のないユカタン半島北部のウシュマルでは天水に依存せざるを得ず、そのことが雨神チャック信仰にもつながっているわけです。
このモザイク模様と雨神チャックの顔も、プウク様式の典型。過剰な装飾ながら、造形的にたいへん洗練されてもいます。さらに蛇神ククルカン(ケツァルコアトルのマヤ名)のくねくねと長い姿も見られますが、こちらはトルテカの影響を受けたもの。

尼僧院の広場を北西から南東に向かって見たパノラマ。中央奥には魔法使いのピラミッド、右手奥には総督の宮殿とグラン・ピラミッドが顔を覗かせています。
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尼僧院を離れて、南の建物群に向かいます。途中、マヤ都市になくてはならない球戯場を通り抜けますが、石壁はぼろぼろながら輪っかはとりわけ大きく立派で、これならいくらでも点数が入りそう。ただし、輪の部分だけとってつけたように修復してあるのが残念ですが。

南の建造物群で最も目立つのは総督の宮殿ですが、まずその西側にある小さな亀の家へ。名前の由来は、上部の屋根近くに並ぶ亀の石彫ですが、この建物の窓から北を見ると球戯場を通って尼僧院まで中心線が通っており、一貫した設計思想のもとに建てられたものであることがわかります。

そのまま総督の宮殿の裏を通って、グラン・ピラミッドへ向かいます。魔法使いのピラミッドは高さ38m、どっしりとしたこちらのピラミッドは32mですが、建っている位置の関係で頂上部はウシュマルの中で一番高い位置にあり、階段を登ることも許可されているので、なかなかの絶景が見渡せます。
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こちらは、グラン・ピラミッドの西にある鳩の家。上部の飾り屋根を西洋人は鳩小屋のようだと思ったのでしょうか?目立つのはこの壁だけですが、実際にはその周囲の傾斜地に数々の建造物を建て並べていたようです。

グラン・ピラミッドの上から見た北の方の眺め。美しいフォルムの魔法使いのピラミッドと、端正な尼僧院、そして右手に総督の宮殿(見えていません)を乗せるテラスがありますが、それらの向こうにははるかかなたまで密林が広がっています。この何の特徴もないように思える地形を見ると、この地がこれだけの莫大な労力を集積すべき場所として選ばれたことの必然性がどこにあるのか不思議でなりません。

最後は巨大な総督の宮殿。ここも、あまりにも見事な壁面のモザイク模様が特徴です。プウク様式の典型であるのみならず、今まで見てきたさまざまな遺跡の中でも最も美しい建物のひとつであると言えるでしょう。横幅98m、奥行き12m、高さ8.6mのこの建物は、よく見ると中央の長い建物の左右に短い建物をつなげた構造をしています。

その接続部には、このように優美な弧を描くアーチ。すごい建築技術です。

このわさわさとした彫刻は、たぶん頭飾りをつけた人物像でしょう。こうしてアップにすると、彫刻とモザイク模様、さらにそれらをつなぐ意匠とのバランスの良さが見てとれます。

妙にかわいい双頭のジャガー像の向こうに、総督の宮殿。こうして一通り見て歩いて、ウシュマルは、マヤの中でもひときわ洗練された美しさを持つ都市、という印象を持ちました。それにしても、毎度不思議なのがこうした大都市を建造する経済力の源泉はどこにあるのか、ということです。今は都市の周囲は濃い樹林に埋め尽くされているのですが、マヤの人々はそこから膨大な余剰生産力を引き出す術を持っていたということなのでしょうか。