帰国
朝、F女史の車でドン・ムアン空港に送ってもらいました。少し時間があったので空港内の「日本亭」という和食レストランに入り、二人で朝定食を食べました。220バーツにしては立派な献立で、特に鮭の切り身の焼いたのは実においしい。F女史にお別れを言って08時50分発のJL708便に乗りましたが、飛行機の中ではひたすら寝ました。
定刻よりわずかに遅れて16時50分に到着した成田空港に降り立ち、空港内のレストランで食事をとってから成田エクスプレスで新宿へ。何となく物悲しい気持ちを抱きながら家に着いたのは、20時頃でした。
前回の旅で訪れたアンコール王都を中心とするクメール帝国にとって、ドンラック山脈の北側に広がるイサーン地方はその重要な領土でした。このため、この地方には数多くのクメール遺跡が点在しています。今回訪ねたいくつかの遺跡はその中でも特に規模が大きく、保存状態もよいものですが、それらはもちろんばらばらに独立していたわけではなく、帝国の幹線道路=王道で結ばれていました。王道沿いには数多くの宿泊施設や病院が整備され、移動する者の安全を図っていたといいます。後にタイ民族国家の首都となったスコータイやアユタヤも、さらには現在のビエンチャン(ラオス)やプノンペン(カンボジア)も、この王道上に位置しています。
下の地図は、東南アジアの地図上に13世紀の王道と、昨年から今年にかけて私が訪れた遺跡を図示したものですが、西はチャオプラヤー川の西岸地域から、北はビエンチャン、東は南シナ海に至るまで伸ばされた王道の規模に、クメール帝国の大きさが実感できます。

イサーンの料理は、バンコクのそれとはちょっと違います。
代表的なところでは、バナナの葉で包んで蒸したもち米(カオニャオ)、たれに漬け込んだ鳥を炭火で焼いたガイ・ヤーン、青いパパイヤを他の野菜とともに石鉢で叩いたサラダの一種ソムタムが有名です。ピマーイに向かう途中で立ち寄ったイサーン料理のレストランでは、他に焼そば、筍とパクチーの炒めもの、餃子の具のようなものとココナッツミルクを小さな型に入れて蒸したものなどが出されましたが、私にはどれもすばらしくおいしく感じられました。

もっとも、イサーンは赤土のやせた土地柄で農業に適さないことからバンコクの人からは「貧困」と少々見下されているところがあり、これらの料理についても「田舎料理」と馬鹿にする向きもないではないようです。タイクーの妹の白猫に飼い主(F女史の日本人同僚)が「カオニャオ」と名付けたときも、F女史宅のお手伝いのエトさんは当のカオニャオに向かって「へんなナマエをつけられてカワイソウなー」と日本語でつぶやいて感心しない風情だったそうですが、こうしたイサーン観が背景にある様子。私はとてもかわいい名前だと思うのですが。