今日はドン・ムアン空港を10時45分のフライトなので、比較的ゆっくり起きだし、タイクーにかつお節をやって御機嫌をとり、パクチーたっぷりのお粥と山盛りのラムヤイの朝食。F女史のマンションを出てスタッフに停めてもらったタクシーは緑と黄色のツートーンで、一般には安全とされていますがF女史はあまり信じていません。乗ってみると運転手は英語が得意ではないらしく、「Airport」はわかっても「Domestic」はわからず、しきりに「International?」を繰り返しています。F女史が片言のタイ語でやりとりしましたが、諦めて「だめ。国際線の方に連れていかれるから、そこから国内線ターミナルまで歩こう」と言います。ところが、高速を走って空港が見えるところでタクシーはちゃんと国内線の方に下ってくれました。なんだ、わかってんじゃんよ、と大喜びのF女史が料金にチップを上乗せしたのは言うまでもありません。
一難去ってまた一難。F女史が死ぬ程嫌いなプロペラ機でしたが、なんとか無事にナコーン・ラーチャシーマーの空港に11時半に降り立つと、来ているはずの迎えが見当たりません。怒り心頭のF女史がバンコクのツアー・エージェンシーに電話して待つこと30分で、慌てた様子でガイドがやってきました。彼、NARA TOURの日本語ガイド・サイチョルの言によれば、バンコクのエージェンシーから連絡を受けていた到着時刻は12時50分だったそうで、ゆっくり食事をしていたら携帯電話で呼び出しを受けてびっくりしたとのこと。しかし、誠実そうで愛想のいいガイド(ユアン・マクレガーを黒っぽくした感じ)なので、我々も機嫌を直して車に乗りました。運転手は、「まだこの仕事に慣れていません」と顔に書いてあるようなジャニーズ系の無口な青年です。
今日と明日の2日間は、イサーンの玄関口ナコーン・ラーチャシーマーを中心に周辺のクメール遺跡を訪ねる小旅行です。ツアー料金は一人6,850バーツ。最初はF女史の車でバンコクから飛ばそうかと話していましたが、せっかくの機会なので大名旅行にすることにしたのでした。なお、現在ではタイ第2の規模を誇るナコーン・ラーチャシーマーは、通称コラート(「高原」という意味)と呼ばれ、アユタヤ朝時代に建設された都市で19世紀にはラオスとの戦いの舞台にもなり、さらに1981年のクーデター時には政府と王室がここに退避して反乱勢力を鎮圧したという、経済的にも政治的にも重要な都市です。車中でのサイチョルの説明によれば、コラートではタイ語はもとより、コラート独自の言葉(方言のようなものでしょうか?)、ラオ語、クメール語などが入り乱れて話されているそうです。
さて、もうお昼なのでレストランへ。F女史の希望でガイ・ヤーンを食べられる地元のレストランに入りました。ちなみに、ここも含めて郊外型のレストランは屋根はあっても壁はありません。風が吹き抜ける開放的な空間にテーブルと椅子、南方的な植菜が置かれているのが一般的です。おいしい料理に舌鼓を打ってから、赤土にサトウキビやユーカリが植わった土地の中を車は走ります。ここでは地下水から塩がとれるという話には驚きました。
やがて町中に入って着いたのが、ピマーイの遺跡。中央祠堂を回廊壁が取り囲む構造はクメール遺跡に共通のものですが、ここではもともと街全体が壁に囲まれた大規模な都市であったようです。現在は中央祠堂とその周辺が遺跡公園として整備されていますが、外部回廊の門をくぐると、きれいに刈り込まれた芝生の中をまっすぐに参道が伸び、正面には内部回廊に囲まれた中央祠堂が聳え立っています。

周囲の回廊はバンテアイ・スレイでも見た赤いラテライトでできていますが、中央祠堂は白い砂岩が28mの高さに組み上げられて重厚な姿を見せています。これはすばらしい!夢中になっていろいろな角度から写真を撮りましたが、どこから撮ってもサマになるのはさすがです。サイチョルの説明によると、屋根の角に乗っているナーク(カンボジア語ではナーガ)の意匠で、それがだいたい何世紀に作られたものかわかるとのこと。後代になるほど装飾が細かく緻密になるのだそうで、このあたりはギリシア建築の石柱上部の装飾様式を連想させます。サイチョルが指差したところには猿の姿が見えました。ラーマーヤナでラーマ王子に忠誠を尽くす猿軍の王です。
わたし「ああ、ハマヌーン!」
ガイド「いえ、ハヌマーン」

タイのアンコール・ワットとも呼ばれるピマーイは、いつ頃、どのような目的で建てられたかはっきりわかっていない部分もありますが、遅くとも12世紀にはこの地全体が聖域とされ、中央祠堂ほかの建築群がアンコール・ワット造営時のモデルになったことは間違いありません。また、クメールの建築物は東向きに建てられるのが基本プラン(ただしアンコール・ワットは、陵墓としての性格から例外的に西向き)ですが、ピマーイは南に向かって建てられており、南門から伸びる旧道はアンコール王都へ通じていたと言われています。

すっかりピマーイの遺跡を堪能したあとは、おまけのような見どころ2ケ所を回ります。まずバーン・プラサート。ここは古いもので3,000年前にさかのぼる人骨や土器が出土したところ。人骨がそのまま展示されており、その多くがかっと下あごを開いた状態になっているのが不気味です。