プレアヴィヒア

日程 7月 写真集
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朝5時に起きてシャワーを浴び、前夜のうちにパッキングしてあったデイパックを背中にしょって、F女史の運転する車で雨のドン・ムアン空港の国内線ターミナルまで送ってもらいました。今日は木曜日なのでここからの2日間は私一人の旅となります。06時35分発のTG020便で約1時間で、タイ東北部=イサーン地方の東の果て、ウボン・ラーチャターニーに到着。ちなみに「ウボン」は蓮、「ラーチャターニー」は王国の意味なので、「蓮の王国」というのがこの町の名前ということになります。

空港の出口にはガイドのトンが現地のSAKDA TOURのスタッフと共に待ってくれていました。ちなみにトンは日本語はしゃべれず、コミュニケーションは英語です。「実は私の友人(女性)も同道したいのですが、いいですか?」と最初に聞かれて面喰らいましたが、とりあえずOKを出して車に乗ります。運転手は伊武雅刀を若くしたような陽気な男ですが、こちらはタイ語オンリー。私・ガイドのトン、トンのガールフレンド、ドライバーにSAKDA TOURのスタッフの5人(!)が乗った車は市街を南に向かいます。途中で渡った川はイサーンを西から東に貫流するムーン川で、2日後に訪れるピマーイはこの川の上流に位置しています。しかしよく見ると、川の水位が異様に高く、水没している民家が屋根だけを覗かせていたりします。聞くと雨期の氾濫(flood)によるもので、この季節はいつものことだとのこと。雨期のたびに水に浸かる場所に家なんか建てるものだろうか、と不思議に思ううちに車はSAKDA TOURのオフィスに着き、スタッフをおろしてここからは4人旅となりました。ちなみにこのツアーの費用は、運賃・食費・宿泊費・ガイド料など一切コミで11,800バーツ。

100km離れた南の国境線に向かう途中、窓の外には木々の間に田が広がる不思議な光景が広がります。後で知ったところでは、これはイサーンの南部に特徴的な「産米林」。開墾に際して立木を残す理由は、強すぎる日ざしの下では稲の生育の妨げにならない、栄養分の循環にプラス、薬用などの有用樹を残したなどさまざまに言われていますが、いずれにしても空に向かって徹底的に開けた日本の田を見なれた目には奇異に写ります。

チケットトンに昨年のロイカトンの話などをしているうちに車はカオ・プラ・ヴィハーン国立公園のゲートを越え、わずかに走って土産物屋が並ぶ終点へ到着しました。係員に料金を支払ってトラクターが曳くゴンドラ車(?)に乗り舗装路を500m。そこが国境で2年前までは鉄冊と鉄条網が張り巡らされていたそうですが、今は休憩所があるだけです。50m程の緩衝地帯を歩いてinとoutに分かれた階段を進むとカンボジア領。こちらにも土産物屋が並んでいますが、立ち寄ることなく直ちに神殿へ続く階段を登りました。

プレアヴィヒア(タイ名「カオ・プラ・ヴィハーン」)は10世紀から12世紀にかけて建造された神殿で、長い参道上に第一から第四までの神殿が直線的に並び、最後の本殿は標高657mの山上に位置しています。その規模はパノム・ルンに匹敵するすばらしいもので、長年にわたりタイ・カンボジア両国で領有が争われていましたが、1962年に国際司法裁判所によって正式にカンボジア領と裁定された経緯があります。しかし、その後カンボジアの内戦でポル・ポト派の支配地に置かれたことから参拝が不可能となっていましたが、ようやく1998年に旅行者にも解禁になったものです。ただし、神殿の周囲にはいまだに地雷が埋められており、ガイドなしに歩き回ることは危険です。

第二神殿

さて、石畳の道は徐々に高度を上げます。第二神殿の破風のレリーフに乳海撹拌のモチーフを見つけたときは非常にうれしかったのですが、続く第三神殿も立派な建築物です。そして本殿の右を抜けると山頂部の絶壁上に到達。正面には圧倒的なカンボジアの大平原が広がり、右にはドンラック山脈が連なっている光景に、心底感動してしまいました。しかし、その絶壁上に到達する手前には、爆弾による穴とベトナム兵が作ったというコンクリートの台座が……。

カンボジアの平原 ドンラック山脈

第四神殿

屋根つきの回廊をくぐって内部に入ると、崩れた石材が痛々しい中央祀堂。回廊の壁も一部内側に傾きかけており、早期の整備が望まれるところです。ここから経蔵の横を通って神殿の門へ出て、第三神殿へ戻る途中の参道で小さな女の子から100バーツで絵葉書を買ったところ、歩き出した私に「バイバイ」と手を振ってくれました。元来た道を下ってタイ側に戻った頃に、タイ人の団体がぞろぞろと歩いてきました。一足早かったおかげで幸運にも静かな神殿散策ができたようです。地雷の話を思い出し、日本で見た映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』の話をトンにしました。また、実は彼はプレアヴィヒアが初めてだったということなので、レリーフのモチーフ以外にも回廊の屋根の不完全なアーチ(クメール人はローマ人のようにアーチで大きな空間を作る技術を持ちませんでした)、算盤のような連子窓など随所にアンコール・ワットとの共通点があることを教えました。


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車に戻り、再びウボンへ。今回の旅のメイン・イベントの2時間の拝観は、本当にあっという間に感じられました。