リマ

観光初日。昨日の移動の疲れを癒す意味で、今日のスタートは11時とゆっくり目です。

今回のツアーでは、以下の4つの世界遺産を見て回ります。

  • リマ歴史地区(文化遺産)
  • クスコ市街(文化遺産)
  • マチュ・ピチュの歴史保護区(複合遺産)
  • ナスカとフマナ平原の地上絵(文化遺産)

その第一弾として、まずはリマの旧市街(セントロ)から見て回ります。灰色の空に覆われたリマ市内を、専用バスに乗って移動してささっと通過したのはサン・マルティン広場。中央にペルー独立運動の勇士サン・マルティン将軍の騎馬像が立ち、周囲の店舗も色遣いが制限されていて、我らがケンタッキー・フライド・チキンのカーネル・サンダース氏も黒塗りの看板に収まっていました。ちなみに、1985年の阪神タイガース優勝時に道頓堀にダイブさせられ、その怨念によってタイガースを優勝から18年も遠ざけたことで有名なカーネル・サンダース人形は、ぺルーにはいないようです。

そのままバスは、アルマス広場に向かいます。かつてこの地を支配したスペイン人によって建設・整備されたぺルーの都市の多くは、イベリア様式にのっとって中心に「アルマス広場」(武器の広場)を持っており、そこには大都市ならカテドラル(聖堂)、小都市なら教会が面しています。リマももちろん例外ではなく、先程のサン・マルティン広場とこのアルマス広場が旧市街の中心で、こちらアルマス広場にはカテドラルやペルー政庁が建っています。立派なカテドラルは比較的新しいものに見えますが、実は、インカ帝国を滅ぼしたスペイン人コンキスタドール(征服者)フランシスコ・ピサロが1535年1月18日に礎石を置いたもので、この日がリマ建都の日にもなっています。また、フランシスコ・ピサロの遺体は、自ら建立したこのカテドラルに安置されています。ガイドのオスカルの話では、当時この広場はマヨール広場(大きな広場)と呼ばれていて、一時この旧名に戻す動きがあったそうですが、現在ではアルマス広場でもマヨール広場でも通じるのだとか。

カテドラルの中では「母の日」のミサが行われていて、これは撮影禁止。おおぜいの信徒が詰めかける中、何人もの神父が奥の壇上で儀式をしていました。カテドラルの左手、美しい装飾の出窓は司教の宮殿。ペルー政庁も中に入れるようですが、今日は柵の外から見るだけ。タイミングがよければ衛兵の交代式を見ることができるそうです。そして、ペルー政庁の脇の道を物騒な放水車を横目に見ながら歩いて2ブロック程のところに、黄色い壁が鮮やかなサン・フランシスコ教会があります。

サン・フランシスコ教会 ←mouse over.

2つの鐘楼の間のすばらしい意匠のファサードが目を引く、しかしやたらと鳩がいる教会という印象ですが、この教会は1546年から100年以上かけて建てられた由緒ある教会で、1991年に旧市街一帯が世界遺産に登録される前、既に1988年に単体で登録されています。中庭を囲む回廊のセビリアンタイルや地下墳墓(カタコンベ)が特に有名なのですが、時間の都合でこちらも外から眺めるだけなのが残念です。ここで写真を撮っていると、うしろから日に灼けた目つきの悪い男達の一団を乗せた車が近づいてきました。すわ、ペルー・マフィアか?とあせりましたが、実は教会関係者が母の日のミサ用の装飾?を教会に運び込むところだった模様。人は見かけによらないものです。

目つきの悪い一団?

近くのレストランで昼食。ここは公園の一角で、レストランの前や横には、ぺルーからスペインへ積み出す金銀を貯め込んだ倉の防壁跡が柵に囲まれて見られるようになっています。大きなピサロの銅像も建っていて、一種の歴史公園のようなものなのかな。いただいた食事は、メインはパエリアでしたが、その前に出てきたセビッチェが南米海岸地域の名物料理。生の白身魚を塩・胡椒・レモン等で軽く漬け込んだもので、粒の大きなトウモロコシとオレンジ色の芋と一緒に皿に盛られていましたが、あっさりした魚にレモンの酸味と赤唐辛子の辛味がアクセントになっておいしくいただきました。

金蔵跡 レストラン セビッチェ

ところで、先程から気になっていることが……。公園からは正面にもっこりと立ち上がった丘が見えていて、てっぺんには十字架、中腹には貧しげな家が斜面にへばりつくように建ち並んでいるのですが、その頂上に近いところに巨大な白文字で「☆ALAN」と描かれています。あれは何?ガイドのオスカルによれば、丘の名前はサン・クリストバルの丘、白文字は石灰で描かれたもので、大統領選の候補者である元大統領アラン・ガルシア氏(フジモリ大統領の前の大統領)の選挙運動だそうです。サン・クリストバルの丘自体がリマの展望台として観光名所になっているのですが、そこにでかでかと文字を描くとは、ぺルーの選挙戦はスケールが違うと感心しました。この旅の中では、この後いたるところに「ALAN」と対立候補「OLLANTA」(元軍人のオヤンタ・マウラ氏)の名前が大書されているのを見ることになります。

サン・クリストバルの丘

昼食後、再びバスに乗って移動。からからに乾ききった丘に沿った道を南へ進むうち、あたりは次第に高級住宅街になってきて、貧富の差がはっきりと町並みに現れています。走っている車もぴかぴかの新車に変わり、交差点では、途上国でよく見かける花売りの子供や、ダンスパフォーマンスで小遣いを稼ぐ若者も見かけました。ちなみに車中でのオスカルの話では、ぺルーの人口は2,800万人、インディヘナ(先住民)とメスティソ(先住民とスペイン人の混血)が大半ですが、日系人は約30万人で中でも沖縄出身が多く、中国系も100万人程。オスカルもフルネームは「オスカル・イサイヤス・サカリヤス・イシモト」(←と聞こえた)だそうで、父方の祖父はスペイン人、祖母はインディヘナ、母方の祖父母は日本人なのだそうです。しかし、3/4もモンゴロイドの血が入っているにもかかわらず、オスカルの顔つきはヨーロッパ系のすっきりしたイケメンです。うらやましい……。

やがて着いたのは、黄金博物館。広い地階に、実業家のミゲル・ムヒカ・ガーヨ氏が若い頃から集めまくったというプレ・インカ(インカ帝国より前の南米文化)中心の黄金製品や土器・石器・骨器、ミイラなどが展示されています。ぺルー北海岸地方で10世紀頃に崇められたナイランプ神を象ったマスクや、そのナイランプ様を柄のところにあしらったナイフ=トゥミ(下右写真)、さらにはナスカで盛んに行われた脳外科手術の頭蓋孔に使った金の蓋なんていうのもあります。黄金の毛抜きや鼻飾り、イヤリング、ネックレスなども豊富。ついでに1階の武器博物館も見ましたが、こちらも展示点数は膨大。体系的とは言い難いですが、古今東西の刀剣や銃がこれでもかとばかりに展示されていて、日本の鎧兜や日本刀ももちろんありました。

黄金博物館 トゥミ

このあとは、新市街・ミラフローレス地区の海岸にある「恋人達の公園」。このあたり、海沿いは断崖になっていて眺めがよく、その公園の真ん中にラブラブの恋人同士のモニュメントが置かれています。「日本は見えますか?」「あいにく視界が悪くて……」みたいな会話をツアー参加者同士交わしながら、しばしのんびり。さらに大きなスーパーマーケットに立ち寄って、ぺルーの庶民の購買事情を見学しました。どこの国の市場でもそうですが、こういうところはやはり食料品コーナーが面白い。いかにもおいしそうな各種お惣菜もいいし、魚介コーナーではイカの切り身(厚さ5cmもあるということは、元はどれほどの大きさなのか?)、紫色の子持ちのカニ、殻が肉に包まれた不思議な巻貝。野菜コーナーには細長くしっかり締まったトマト、ばかでかいパプリカ、巨大なカボチャの切り身、ナスやアーティチョーク、トウガラシなどもみな巨大。そして50cm程の細長いスイカ、おいしそうな巨大パパイヤ、各種リンゴ、山積みのパイン、柑橘類、その他正体不明の果物たち。見飽きることがありません。

恋人達の公園 ワカ・プクヤーナ

最後に、紀元後にリマ地方に栄えた文化が遺した日干しレンガの巨大遺跡ワカ・プクヤーナをバスの中から眺めて、本日の行程はすべて終了。リマも、けっこう面白いじゃないですか。

……といいつつ、ホテルに着いたときには、心は早くも明日のクスコに飛んでいるのでした。


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