バンコク

今日はF女史は仕事なので、一人で市内観光。と言ってもまたもやパンダバスのツアーに乗るだけなので、何の心配もいりません。ただし昨日は短パンにTシャツのラフな服装でしたが、今日は遺跡ではなく寺院巡りなので、襟つきのシャツとズボンといういでたちです。昨日と同じく迎えのミニバスで集合地点に行き、市内観光用の大型バスに乗り換えてみると、なんと同行は自分を含め4人だけ。これは明らかに採算割れでしょう。この日が日本では海の日に当たり、今日のうちに日本に帰る観光客が多いからでしょうか?

暁の寺最初の行き先は暁の寺=ワット・アルン。ビルマ軍の攻撃で陥落したアユタヤを船で夜に立ってチャオプラヤー川を下り、明け方に辿り着いたこの寺の隣にタークシン王がトンブリ王朝を開いたことから暁の寺と呼ばれている、というのがガイドの説明。チャオプラヤー川を渡し船で横断するとそこがワット・アルンで、真っ白なタイ式の塔がすっきりと高く、本当に綺麗です。タークシン王は中国系の人物で、子供がいなかったことから腹心のチャクリー将軍(後のラマ1世)に王位を譲って自分は仏門に入ったとのこと(とガイドは説明していましたが、モノの本には「晩年の暴政のために処刑された」とありました)。したがってトンブリ王朝は1代限りで終わり、ラマ1世は対岸のバンコクに遷都してチャクリー王朝が開かれ、1932年の立憲革命を経ながら今日まで続いています。

続いてエメラルド寺院=ワット・プラケオと王宮。ワット・プラケオは1782年、バンコク遷都の際にラマ1世が王朝の守護寺として建立した寺院で、本堂に祀られた本尊がエメラルドのような色のヒスイで作られているため、エメラルド寺院と通称されています。このエメラルド仏はタイ北方で作られた後、スリランカやカンボジアなど数々の国に持ち去られ、16世紀から200年以上にわたりラオスの首都ヴィエン・チャンに安置されていましたが、1778年チャクリー将軍がラオス侵攻の戦利品としてタイに持ち帰って今日に至っています。

ワット・プラケオの守護像ヤック アンコール・ワットの模型 台座

壮麗な寺院建築の数々を見て、さぁいよいよエメラルド仏と御対面!と思ったところ、なんとこの日は一般観光客は御本尊にお目にかかれません。エメラルド仏は年に3回、季節の変わり目ごとに国王自らの手で衣装替えが行われるのですが、たまたま今日がその日に当たってしまい、偉い人しか本堂の中に入れないのでした。うーん、残念。

エメラルド寺院

気を取り直して引き続き王宮へ。現在のラマ9世は別の宮殿に住んでおられ、こちらの王宮はラマ8世までが住まわれていたところ。現在は国家的儀式や祭典を執り行ったり、迎賓館として利用されています。大理石のビクトリア様式の建物の上にタイ様式の屋根が乗ったチャクリー・マハ・プラサート宮殿や歴代王の戴冠式に使われたドゥシット・マハ・プラサート宮殿を見学しましたが、なにしろ暑い……というより「熱い!」という感じ。その中でも衛兵たちが正装して警備に当たっているのは本当にタイヘン。観光客たちは気楽に横に並んで写真を撮るが、衛兵はロウ人形のように微動だにせず、観光客がお礼を言うとかすかに会釈するだけ。さすがに2時間で交代するそうです。

チャクリー・マハ・プラサート

ここでいったんパン・パシフィック・ホテルに移動し、中華レストランで点心の昼食。いろいろ話をしてみると、同行者のうち一組は新婚旅行でサムイ島を含め1週間の旅。もう一人は年輩の女性ですが、御主人が3月からバンコクに赴任しており自分もこちらに転居できるかどうかを見極めるために10日間の予定でタイに来ているとのこと。こうしてみると自分の4日間というのは確かに随分短いと実感。宿がタダなんだからもっとゆっくりしなくてはもったいない、かな?

黄金仏午後はまず黄金仏寺院=ワット・トライミット。ここでの見どころは文字通り黄金仏で、スコータイ風のほっそりとした顔だちの仏様は、純度60%の金で鋳造され、高さ3m、重さは5.5tもあります。もともと市内の廃寺にあったこの仏像は表面を漆喰で覆われていましたが、1953年にワット・トライミットに移転する際に漆喰がはがれて中から黄金の姿があらわれたという嘘のような経歴をもっています。しかし、その漆喰コーティングもビルマ軍の略奪を免れるための偽装だったと聞くと、なるほどうなずけます。見事な黄金仏には似つかわしくない小さな寺の中に安置された仏像の前では信者が正座して深々と祈りを捧げていますが、ガイドによると「中国系の人たちは商売繁盛を願って本当に熱心にお祈りするのです」ということになります。

寝釈迦

続いて涅槃寺=ワット・ポー。1788年にラマ1世によって建立されたタイ最古の寺院。また、タイ式マッサージの総本山としても有名です。長さ46m、高さ15mの寝釈迦が見どころで、これは本当に巨大。また、寝釈迦の裏側には108個の金属製の容器が並んでおり、いくばくかのお金を寄進してサタン硬貨108枚入りの椀を受け取り、端から1枚ずつ入れていくと御利益があるとのこと。ところが最後まで入れていくと自分は数枚余ってしまい、同行者は逆に1枚足りません。自分の分を融通して帳尻を合わせましたが、お釈迦様も意外にいい加減なものです。なお、この寺にはほかに仏陀が悟りを開いたときの菩提樹の挿し木や沙羅双樹などが植えられており、また建物群も壮麗です。

涅槃寺

最後に入ったのが大理石寺院=ワット・ベンチャマボピット。ラマ5世の命により1899年に建てられたもので、イタリアから運んだ大理石が眩しく、窓にはステンドグラスが嵌め込まれ、西欧趣味が発揮されています。しかし、ちょうどこの時期外装の修理中で、外側に鉄パイプの足場が組まれてしまっており、せっかくの美しい姿が台無しの状態でした。少々がっかりではありましたが、こればかりは仕方がありません。


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17時半にマンションに戻るとF女史も既に帰宅しており、早めの夕食(デザートはマンゴスチンとドリアン)をとりました。エトさんとタイクーに別れを告げてから、F女史の車で空港まで送ってもらいましたが、実は、夜の高速道路を運転するのは初めてというF女史から「日本人がタクシーで空港に向かうのは危ない」と聞かされて、正直「どっちが危ないかわからんな……」とは思ったものの表情には出さず、命がけで好意を受け取ることにしたのでした。無事に空港に着いてF女史と別れ、22時15分発の全日空NH916便に搭乗。ボーイング777は激しい雷雨の中を定刻通り成田に向けて飛び立ちましたが、心配は雷の中の飛行機よりもF女史の車のことでした。