今日は6時半にマンションの1階に迎えが来ています。日本人向けに最も人気のあるパンダバスのツアーですが、参加者が多いためミニバス数台であちこちから客を拾い、市内のパンダバスの駐車場で大型バスに乗り換える仕組みです。しかし、月曜の朝のバンコク市内の渋滞は生半可ではなく、どうやら全体の出発が1時間遅れた模様。
今日の行き先であるアユタヤは、1350年から1767年まで417年間にわたって続いたアユタヤ王朝の首都で、17世紀にはペルシャや西欧諸国とも外交関係を結び、御朱印船貿易で栄えた日本人町の頭領・山田長政が活躍したのもこの時代です。しかし、度重なるビルマ軍の攻撃により最終的にアユタヤが陥落した際に、王宮や寺院など都市の主要な建物は徹底的に破壊されたため、現在では荒廃した遺跡しか残っていません。タイの歴史に関心がある者にとっては必見の都市といえます。

さて、アユタヤに向かう途中に立ち寄ったのがバンパイン宮殿。チャオプラヤー川の中洲に築かれた夏の離宮で、17世紀から18世紀にかけてアユタヤの歴代の王によって使われていたものを、ラマ5世が改修したもので、中にはタイ風、中国風、ギリシア風、スイス風など様々な様式の建物が立ち並びます。ラマ5世はヨーロッパに留学し、西欧の文物や制度を数多くタイにもたらした名君ですが、この離宮にもそのグローバル志向が遺憾なく発揮されているようです。
バスでさらに北上、いよいよアユタヤの遺跡を巡り始めます。最初に訪れたのはワット・ヤイ・チャイ・モンコン(「ワット」とは「寺」という意味)。アユタヤの市街は四方を川に囲まれた島状の都市ですが、この遺跡はその外側、東に位置しています。1357年に建立されたこの寺院の見どころは真っ白な寝釈迦と巨大なチェディ(仏塔)ですが、寝釈迦の方はもともと金箔で覆われていたものの、侵攻してきたビルマ軍に火をかけられ、溶けた金を持ち去られてしまったもの。また、チェディの内部には地中深くへ続く穴があり、ビルマ侵攻の際の逃走路になっていたとのこと。

次に訪れたのはワット・プラ・マハタート。14世紀に建てられた寺院ですが、ここにも徹底した破壊の跡が残ります。中央の44mの仏塔は崩れ落ち、石の仏像群は首を切られ、仏頭が菩提樹の根に取り込まれてしまっています。この遺跡が、わずか200年余り前には各国の外交官も行き交う繁栄した都市の一部であったとはとても信じられません。
ワット・プラ・シー・サンペットはバンコクのワット・プラケオに相当する王室の守護寺院。1491年に建立され、アユタヤ中期の3基のチェディに3人の王の遺骨が納められています。これらのチェディは壮観ですが、周囲にあった王宮、僧院などは跡形もなく破壊されてしまったとのこと。もっとじっくり遺跡の中を散策したかったのですが、出発が遅れてしまったために各遺跡での自由時間が極端に短いのが非常に残念でした。

