カンチャナブリー

今日はカンチャナブリーへのバスツアー。昨日食べ過ぎたので朝食は抜きにして、タクシーで集合地点のシャングリラ・ホテルへ移動し、ここでウェンディツアーのガイドと合流、他の3人の日本人とともにミニバスでカンチャナブリーへ向かいます。

カンチャナブリーはタイの西部にあり、古くはアユタヤ王朝と戦うビルマの進軍路にもあたりますが、最も有名なのは第二次世界大戦で日本軍の軍需物資輸送のために多くの捕虜や現地労務者の犠牲の上に建設された泰緬鉄道、映画『戦場に架ける橋』の舞台としてです。泰緬鉄道は、ビルマ・インド戦線への物資輸送がシンガポール経由の海上輸送では困難になりつつあったことから、1942年から1943年にかけてわずか16ヶ月の突貫工事で完成されたもので、1万6千人の捕虜とはるかに多くのアジア人労働者が、栄養失調や疫病に冒されて亡くなっています。

バンコクから約2時間のドライブでカンチャナブリーの町に到着し、まず入ったのがJEATH戦争博物館。博物館の建物は当時の捕虜の住居となった竹作りの小屋を再現したもので、中には捕虜の暮らしの様子が豊富な写真や絵で解説されています。これらの資料は、捕虜(となった欧米人・オーストラリア人)が日本軍の下でいかに非人道的な取扱いを受けたかを記録しており、日本人観光客にはなんとも居心地がよくありません。

JEATH戦争博物館 連合軍共同墓地

続いて訪問したのが連合軍共同墓地。さほど広いところではありませんが、敷地内には鉄道建設に従事して弊れた6,982人の連合軍兵士の墓があります。墓碑には氏名、年齢、所属と簡単な銘文が彫り込まれていますが、ほとんどが20代から30代の若い兵士ばかりでした。たとえこの施設が白人向けの施設でしかないとしても、彼らがなぜこのような若さで死ななければならなかったのかと考えると、暗澹たる気持ちになってきます。

鉄橋

バスで移動した先はクウェー川鉄橋駅。1943年2月に完成した最初の橋は木造でしたが、連合軍爆撃機の空襲で何度も爆破され、鉄橋に架けかえられています。現在の橋は戦後に修復されたものですが、一部に戦争中のオリジナル部分も残っているとのこと。橋の上には板が渡してあり、強烈な日ざしの下を歩いて渡ることができます。いろいろな国からの観光客に混じって我々も橋の上を往復、駅の近くで屋台の果物を食べてから、10時55分発の汽車に乗り込みました。

汽車 アルヒル桟道橋

汽車は橋を渡ってからタイの農村部をかなりのスピードで進みます。窓の外には赤土のサトウキビ畑、タロイモ畑が広がります。ガイドは疲れているのか、汽車の中では爆睡モード。途中、工事の難所であったチョンカイの切り通しやアルヒル桟道橋ではそろそろと進み、約2時間で着く終点の手前の駅で下車、レストランでこの日初めての食事をとりました。


より大きな地図で旅の記録を表示

プラ・パトム・チェディカンチャナブリーの旅はこれでおしまい。バスに乗り込み、バンコクへの帰途、ついでのようにナコーン・パトムのプラ・パトム・チェディへ立ち寄ります。

ナコーン・パトムは7世紀から11世紀にかけてメナム・デルタを支配したモン族のドヴァーラヴァティー王国の都があったところ。プラ・パトム・チェディは1500年前頃に高さ40mの最初の塔が建てられ、1853年にラマ4世の命令で改修された高さ120.45mのタイ最大の仏塔です。半円形の塔身の上にとがった塔頂が伸びた典型的なセイロン様式で、オレンジ色のタイルで覆われており非常に目立ちます。周囲は円形の回廊で囲まれ、数多くの仏像には市民がはり付けた金箔が輝き、中国風の石像が配置されていました。

バスは乗客をそれぞれの宿まで送り届けてくれます。我々がマンションに戻ったのは夕方の6時半過ぎ。バンコク市内では最も渋滞がひどい時間帯ですが、比較的スムーズに走れたようです。シャワーを浴び、メイドのエトさんが作ってくれた夕食にワインで乾杯して今日の締めくくりとしました。

F女史のマンションはなんと220平米。エントランスだけで6畳程もあり、大きな推定50平米のリビング / ダイニングとベッドルームが3つあって、その2つには独立したバスルームがついているほか、メイドのエトさんが泊まる部屋もあります。この広い部屋にF女史とエトさん、それに生後4ヶ月のやんちゃ猫タイクー(「Tiger Woods」のタイ式発音)の3人(?)だけで住んでいるのですから、うらやましい。

タイクーはライチーによく似た味のラムヤイやランブータンが大好きで、我々が食事をしていると椅子からテーブルの上に登って果物を物色し、その都度エトさんに台所に拉致されて好物の配給を受けます。また、私が貸してもらったベッドルームは普段開かずの間としているため、好奇心旺盛なタイクーは興味津々だったらしく、朝、ドアを開けると素早く忍び込んでベッドによじ登ったり部屋の中を視察したり。最後の日にばしばし写真を撮ってやりましたが、カメラのフラッシュには驚いたらしく、その後はカメラを向けるとリビングのテーブルの下やソファーのクッションの陰に隠れるようになってしまいました。