ポッパ山からバガンへの帰途、F女史の希望でまたも漆器専門店の「Ever Stand」に立ち寄りました。経営者が最近刑務所から戻ってきたばかりといういわくつきの店ですが、たしかに見事に細工の細かい逸品がたくさん置いてあります。とはいえ、こちらは買い物に興味がないので、F女史にはゆっくり品定めを楽しんでもらうことにして、その間に考古学博物館に行くことにしました。チョチョルィンさんについてもらって立派で新しい博物館に入ると、バガン草創期の仏像や石碑、仏塔の模型、バガンのジオラマなどがあってなかなか楽しめました。11世紀の仏像はあごが尖っており、12世紀の仏像は顔が四角いといった様式上の変遷もわかって勉強になります。また、アノーヤター王の事蹟を絵で説明するコーナーがあって、そこにはアノーヤター王がモン人高僧シン・アラハンの勧めによりバガンに上座部仏教を導入し、それまで上ビルマで支配的だったいかがわしい密儀を行う大乗仏教のアリー派を一掃し、さらに下ビルマのタトォンを征服して仏舎利と三蔵を入手した様子が描かれていました。
「Ever Stand」に戻って荷物を増やしたF女史を拾い、バガンで最も高さが高いタビィニュ寺院を訪れました。内部にはもとは壁画があったそうですが、今はしっくいに塗り込められていて見るべきものがあまりありません。しかし、近くに日本人戦没者の慰霊碑があり、ここで手を合わせていると、ちょうど出てきた僧侶に近くの建物に招じ入れられてお茶と棕櫚砂糖をふるまわれました。第二次世界大戦では多くの日本人がミャンマーで命を落としていますが、この寺には戦没者名簿が備え付けられていて、遺族が定期的に訪問してもいるそうです。

次に向かったのはダマヤンヂー寺院。下の写真のようにてっぺんが丸く尖塔がないのは、この建物が未完成だからです。12世紀、父王と兄を暗殺して王位を纂奪したナラトゥがそれまでの寺院をしのぐ偉大な寺院を建立しようとしましたが、在位3年で本人も暗殺されたため以後放置されたままになっているものです。中に入ってみると薄暗い回廊にコウモリの声が響き渡り、いかにも呪われた寺院の雰囲気を漂わせています。

続いてオールド・バガンの中に入り、エーヤワディー川に面したブーパヤー・パヤーへ。ここはかつて港があったところで、雨期には大型船が遡上してくることも可能だそうです。当時のバガンの財政を支えていた基幹産業は灌漑による稲作農業ですが、同時にこの内陸河港が雲南地方・アッサム地方とベンガル湾からインドへの通商上の物資集散地になっていました。バガンの王たちはインドへ参詣に出かけ、帰国するとインドと同じ様式の寺院を建立したそうです。このブーパヤー・パヤーは、そうした知識をもって見ると一種の灯台のようにも見えてきます。実際、この仏塔はバガン王朝よりもはるかに前から存在し、言い伝えによると3世紀に建てられたものだそうです。これが正確かどうかは別として、中国〜インド間の貿易の拠点としてこの地が早くから重要な地位を占めていたことは事実でしょう。
なお、この中国からインドへの通商路上にあるミャンマーという視点は歴史時代におけるこの地域の国際政治のキーポイントで、古くは漢の武帝が西域開拓と並んで蜀(四川)から西南方へ身毒(インド)に向けて2度にわたり使節団を派遣したという記事がある(いずれも成功しませんでした)のはこの地域を経由したものと思われますし、下っては13世紀に元の侵冦を招き、14世紀には明が雲南からベンガルへの陸路の開拓を企図してミャンマーに政治的動揺をもたらし、さらには16世紀からのミャンマー(タウングー朝)とタイ(アユタヤ朝)の抗争はチェンマイにおける中国との通商の覇権を巡ってのものでした。

さて、本来ならここでボートに乗り川の上からサンセットを見る予定だったのですが、雲がたれこめてきて風も出てきそうだ、と言われてサンセットは諦め、駆け足でいくつかの建物の写真だけ撮ることにしました。まずブーパヤー・パヤーからほど近いところにあるマハーボディー・パヤー。何層にも装飾を施した高い塔がいかにもインド風(ブッダガヤー寺院を模したもの)です。

次に、オールド・バガンの入り口にあるタラバー門。9世紀に築かれたバガン城壁の一部で、門の内側の両脇には祠にナッ神が祀られ、外側には水をたたえた濠が残っていて古城の趣きがあります。最後にミンガラーゼディー・パヤー。13世紀、バガン王朝最後の仏塔で、参道の向こうに釣鐘型の塔がすっきりときれい。上のテラスからの眺めはなかなかのものです。
バガンでの仏塔見学はこれで終わり。最後の夜はRiver View Restaurantでエーヤワディー川を眺めながら……ということになっていましたが、車に乗って移動しはじめたとたんに、予告通りすごい風が吹き始めました。ミャンマー人の観天望気、あなどりがたし。土ぼこりで視界がきかなくなるほどで、これでは屋外での食事はとても無理。急遽屋内での食事に切り替えました。毎度そうなのですが、出される料理はとても食べきれない量で、食べ物を残すのが嫌いな私はこのときも無理して詰め込んでいたのですが……。