くるみ割り人形(東京バレエ団)

2008/11/09

プログラム東京バレエ団によるモーリス・ベジャール追悼公演シリーズの「くるみ割り人形」を、東京文化会館で観ました。ベジャール存命中から観たかった作品ですが、今回はこの「くるみ割り人形」を、12月の「ザ・カブキ」、来年2月の「ベジャール・ガラ」との3公演セットで観ることにしたもの。「くるみ割り人形」はクリスマスのお話だから12月に観たいところですが、日本人にとっては師走は忠臣蔵優先なんでしょう。

通常の「くるみ割り人形」は、クリスマスの夜に少女クララ(ロシアのバレエ団ではマーシャ)が夢の世界に迷い込み、そこでの出会いと冒険を通じて少女から乙女への成長を遂げるという話なのですが、ベジャール版の「くるみ割り人形」は、同じチャイコフスキーの音楽を使いながらも、「思い出すなあ」で始まるいくつかのベジャール自身のナレーションとダンスによって、ベジャールが7歳のときに死別した母親への思慕とバレエへの愛情とが、連綿と綴られていきます。マシュー・ボーン版とはまた違ったタイプの本歌取りで、よりパーソナルなテーマを扱っており、しっとりと感情移入させられますし、かつて観た「」も、フランス語では「母」と「海」とが同じ発音であることを活かして、少年ビムの母への思慕と海(バレエ)を通じた成長を描いていましたが、この「くるみ割り人形」は、そのテーマをより具象化してチャイコフスキーの音楽に乗せたもの、とも言えます。

舞台は、次のような情景から始まります。

クリスマスの夜、男の子がひとり、ちっぽけなモミの木のそばにすわっている。その枝では、去年のクリスマスからずっと残されたままの飾りが、寂しげに揺れている。男の子の母親は亡くなったのだ。

父親にもらったくるみの実で遊ぶ男の子ビム(ベジャール自身)と、父(M...)、飼い猫フェリックス。舞台の上から降りてきたモニターにベジャールの姿が映し出され、彼自身が日本語で次のように語ります。

思い出すなあ… おかあさん。あれは僕が7つのとき、ある晩、おかあさんがこう言った。「ママはね、長い長い旅に出るの。いい子でいるって、約束してね」思い出すなあ、クリスマス!

そこへ、白いスーツに身を包んだ母が現れてプレゼントを置こうとします。これは夢なのか?背景の幕が落ち、舞台後方に見上げるばかりの巨大さの包み。そう、クリスマスツリーが巨大化するかわりに、ここではプレゼントの包みが巨大化したわけです。そして最初のイメージは、バレエのクラス・レッスン。舞台の両袖に鏡のついたてが出現し、精悍な髭を生やして何となくエキセントリックな雰囲気を漂わせたM...は、ここではマリウス・プティパとなって紅白の衣装のスポーティーなダンサーたちを見回り、女性ダンサーによるトウシューズでのソロも披露されます。そして猫のフェリックスが大きく舞台を回転しながら跳躍したとき、着地の際に嫌な転び方をしました。それでも素早く立ち直って、その場は演技を続けたのですが……。

ベジャールのイメージは、さらに続きます。緑の妹も加わってファウストのお芝居、厳しい表情のM...が突く杖のリズムに乗って登場するボーイスカウトたち、彼らが疲れて寝袋に入ると、金と赤のスパンコールの衣装に身を包んだなんともゴージャス(不気味?)な二人の光の天使とショーガール風の二人の妖精。猫のフェリックスがコミカルなポーズで深夜12時の訪れを告げると、天使たちの踊りにつられるように巨大な包みを覆う布が引き上げられ、そこには高さが8メートルはありそうな真っ白の聖母像が立っていました。ビムはこの像に必死によじ登ろうとしますが、胸にかけた右手のあたりはオーバーハングしていて、アルパイングレードでIV級近い難しさはありそうです。一度はあえなく滑り落ちたビムですが、二度目には像の顔まで登りつめることに成功。再び滑り降りてきたビムをM...は荒々しく突き飛ばしますが、そのとき聖母像が回転すると背中の宝玉に彩られた祠の中から白いユニタード姿の母が現れて、ビムとの官能的なパ・ド・ドゥ。母子というより恋人同士のようですらあり、ベジャールの母への思慕の強さが最も現れる美しい場面で、この母役を演じた高木綾さんのすらりと清楚な美しさが、この作品のイメージを決定づけたように思います。さらに二人の光の天使の手を借りたダイナミックなパの後に、ビムと母は聖母像の中で抱き合います。

聖母像が回転して二人の姿が見えなくなると、雪の国。ここで登場したのは禿頭のマジック・キューピー(!)。そうきますか……。雪が降りしきる中、あれやこれやのマジックを巧みに披露した後、装いを改めたビムと母とともにそりに乗って去っていき、幕。

休憩時間中にロビーに出て、そこでやはりフェリックス役の小笠原亮が負傷し、途中から松下裕次にスイッチしていたことを知りました。どこから変わったのだろう?負傷したのがプティパのクラスでの跳躍の際なら、そのすぐ後のファウストの場面までに急な代役が猫メイクを完成するのは難しいでしょうから、そこまでは足の痛みに耐えながら引っぱり、12時の時計の音から代わったのかも知れません。松下裕次は二日前のこの公演でフェリックス役を踊っていますから、代役をつとめること自体は難しくなかったでしょうが、アクシデントに対する素早い対応ぶりには、やはり感心します。というより、ダンサーが負傷するリスクを常に負っているバレエ公演では、こうした危機管理は常に考えられているのでしょう。

第二幕はビムがM...に促され、せっかく出会えた母に喜んでもらおうと趣向を凝らした踊りの数々を一緒に見るサーカス。闘牛の練習用の手押し車が登場して、まずはスペイン。赤い鼻をつけてはしゃぐビムと、白いドレス姿で少女のように喜ぶ母の姿が、むしろせつない感じ。バトントワリングと自転車で楽しげに踊られる中国(高村順子さんがかわいい)、あやしげな奇術師のいでたちのM...が箱から出てきましたエキゾチックな女性と踊るアラブ、「ディアナとアクティオン」のいでたちでスピーディーに踊られるソ連(ロシアバレエへの敬意が示される)。さらにタキシードを着た男たちに囲まれてフェリックスが、時折猫パンチを交えながらキレのよいアントルシャとピルエットをスタイリッシュに決める「葦笛の踊り」が、一連のディヴェルティスマンのクライマックスとなります。炎のような赤毛のフェリックスは、同じベジャールが振り付けた「ニーベルングの指環」の火の神ローゲを連想させる不思議な役回りです。しかし、まだフランスが足りません。パリ!とビムが呼びかけると、いかにもおしゃれなパリジャン・パリジェンヌのペアが登場し、アコーディオンを主体としたシャンソン風のワルツに乗って優雅に踊ります。ここは井脇幸江さんが貫禄。ベジャールのナレーションの求めに応じてマリウス・プティパもビムに「第五ポジションの手本」をソロで見せますが、ここにはクラシックの動きの中にベジャールの過去の振付のエッセンスが織り込まれていました。そして「花のワルツ」には、光芒のかぶりものを頭上につけ、あろうことか純白のロマンティック・チュチュをひらひらさせた髭面の光の天使たちが出現。白バラを捧げ持つタキシード軍団を従えてビムの母と共に、さらにはディヴェルティスマンの登場人物たちも勢揃いして優雅に踊ります。そこまでしますか……。だがこれはビムの夢の中なのであり、若きベジャールの心の混沌でもあるはずです。

最後は、マイクを持って「コンバンワ」と登場したM...のアナウンスに導かれて、グラン・パ・ド・ドゥがプティパの振付のとおりに踊られます。上野水香と後藤晴雄のペアは、オディールのような漆黒の衣装。これはたぶん、純白のドレスをまとったビムの母との重複を避けるためだったのでしょう。しかし、なんとなく後藤晴雄が大柄な上野水香を持て余している感じ。そして男性ヴァリエーションとコーダの前半は、フェリックスが猫メイクのままで参加。これがまた、キレのよい踊りですばらしいものでした。フェリックスの松下裕次、大活躍(この点に関しては、キャストに関するコメント参照)。

エンディングは、冒頭の場面へと回帰します。プレゼントの包みに入っていたのは、母の面影をたたえたあの聖母像。そのプレゼントを抱きしめるビムを見守るM...からは、夢の世界で見せていたエキセントリックさが消え、温かい父親の表情に変わっていました。

チラシ(表)チラシ(裏)

キャスト

ビム 氷室友
高木綾
猫のフェリックス 小笠原亮
松下裕次
M...(マリウス・プティパ、メフィスト、M...) 中島周
妹のクロード、プチ・ファウスト 佐伯知香
光の天使 江本武尊
平野玲
妖精 奈良春夏
田中結子
マジック・キューピー 飯田宗孝
 
スペイン 闘牛士 高橋竜太
宮本祐宜
中国 バトン 高村順子
アラブ 西村真由美
中島周
ソ連 小出領子
横内国弘
フェリックスと仲間たち 松下裕次
パリ 井脇幸江
木村和夫
グラン・パ・ド・ドゥ 上野水香
後藤晴雄
松下裕次

代役(1) 代役(2)

くるみ割り人形本来グラン・パ・ド・ドゥは上野水香 / 後藤晴雄ペアで踊られる予定でしたが、「リハーサル中に足を痛めたため」に男性ヴァリエーションとコーダの一部を松下裕次が踊ることになった旨が開演前にアナウンスされていました。ということは、本来は上野 / 後藤ペアが普通に二人でグラン・パ・ド・ドゥを踊る予定だったのでしょうが、さらに、第1幕の途中でフェリックス役の小笠原亮が足を傷めたため、急遽松下裕次がフェリックスを演じることになり、彼も加わる予定だった闘牛士は2人に減らされ、さらにグラン・パ・ド・ドゥの一部も松下裕次が猫メイクのまま踊るという変則的な形となりました。いくら何でもそんなのないよなあ、でも臨機応変ですごいと言えばすごいよなあと思っていましたが、後日ジル・ロマンがM...を踊ったベジャール・バレエ・ローザンヌのDVD「くるみ割り人形 」を購入して見てみたら、ここでも男性ヴァリエーションはフェリックス(小林十市)が、さらにコーダの前半はアクティオンが踊っていました。なんで?