国立劇場で、第一部の「鎌倉三代記」と「増補大江山」。今月は第二部が近松の「心中宵庚申」と北條秀司の「狐と笛吹き」で、「心中宵庚申」が住大夫さんなのでよほどそちらにしようかと思いましたが、諸般の事情により第一部を聴くことにしました。そうしたら、「鎌倉三代記」は「竹本綱大夫病気療養のため休演」……。
鎌倉三代記
まず「入墨の段」、始大夫さんのブライトで勇壮な語りによる評議の場、ついで篝火が登場する奥は千歳大夫さんの語り分けの妙。藤三が入墨を入れられるところは、仰向けになった人形が痛みに耐えかねて手足をひくひくさせるのが笑いを誘います。おかしいのはその先も同様で、時姫は深窓の令嬢(?)なので酒と豆腐を買いに行くにも赤姫姿で日傘・長刀の供人付き。それでも、時政の使いとして来た局たちにこれからはお時さんどうなされかうなされと、軽う云ふのがこの家の格式
と言い含めるあたりが健気です。かたやその時姫に米の研ぎ方から教えるおらちは豪快な酒呑みで、病床の三浦之助母を前にして縁起の悪い台詞のオンパレードで周囲の女たちをはらはらさせますし、研ぎ方伝授では諸肌を脱いでロケット乳をあらわにし、ノリ地でやっしっし
と調子をとりながら米を炊くところまでの手本を見せて、最後は自分で酒を買い足しに行きます。
こうしたコミカルな筋の運びが、「三浦之助母別れの段」で時代物の重さに一変。鶴澤清二郎の三味線がばしばしと凄い迫力で、三味線は打楽器でもあるということを実感させられます。そして手負いの三浦之助登場。討死の前に一目母の姿を見たいと帰ってきた三浦之助を、母は戦場に向かひながら指す敵に後ろを見せる、うろたへた性根ならば、子ではないぞ、サ親でない
と厳しく咎め、会おうとしません。恥じ入った三浦之助が戻ろうとするのを時姫が夫婦の固めないうちはモどうやらつんと心が済まぬ
と必死に止めようとしますが、三浦之助は時姫が敵・時政の娘なので恐ろしく邪慳。あげくの果てに三浦が女房なら
時政を討てと命じ、恩と恋の天秤の末に時姫は思ひ切って討ちませう。北条時政討つてみせう。父様赦して下さりませ
と泣き伏します。なんて可哀想な時姫。最後は藤三を装っていた佐々木高綱が正体を顕してうってかわった武将らしい大きさを存分に見せ、松の木に登って物見の後、瀕死の三浦之助は時姫を振り切り、母の臨終にひと目くれると縁の切れ目は蘭奢の薫り、無常の声や鬨の声、跡に見捨てて出でて往く
。徹頭徹尾時姫に冷たいマザコン三浦之助、最後の最後まで可哀想な時姫……。だがこれが、本作が書かれた18世紀の価値観なのでしょう。
増補大江山
源頼光の家来・渡辺綱の鬼退治の話に基づく舞踊劇。あやしい月明かりにスモークが湧いて女が登場、というのが現代的な演出。女が夜中に一条から五条まで行かねばならないというのは、ちょっと遠い距離です(私自身はかつて二条御幸町に住んでいて、河原町高辻あたりの会社まで20分かけて歩いて通っていましたが、それよりもはるかに長い距離になります)。戻り橋を渡るところで一瞬、女(首は「角出しのガブ」)の口が耳まで裂け目が金色になりびっくり!女が舞を見せる場面では床の上に台に乗った横置きの二弦琴が出てきて、左手中指の筒、右手人差し指の爪でスティールギター風に弾かれていましたが、これが「八雲」の模様。鬼女の正体を顕したところで人形遣の衣裳も変わり、激しい立回り。一天俄にかき曇り
で上から黒雲の幕が落ち、ストロボの稲光が明滅する中、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とします。最後は下手、建物の屋根の上に鬼女の腕を持つ渡辺綱の見得、そして上手寄りには雲の上で鬼女が激しく毛振りと、ダイナミックで面白い演目でした。