これまで歌舞伎はずいぶん観てきていますが、今年はそのウェイトを落として「能・文楽強化年間」とすることにしています。中世に成立した能と近世の文楽とではおよそジャンルが異なりますが、いずれも歌舞伎に大きな影響を与えている伝統芸能です。そんなわけで、この日はセルリアンタワー能楽堂の定期能2月公演。とった座席は中正面で、目付柱が舞台中央への視界をさえぎるものの、一番前の列で舞台に非常に近い位置。最初にリンボウ先生こと林望氏が舞台上に現れて、これからの演目についての懇切丁寧な、かつ楽しい解説がありました。
笠之段
まずは仕舞「笠之段」。これは大和物語に題材をとった能「芦刈」の一場面。貧乏で離縁せざるをえなかった夫婦。妻は都で貴人に仕え生活も安定し、ある日従者を伴い難波の浦へ戻り夫の行方を尋ねる。そこへ落ちぶれて芦売りとなった夫が現れ、妻の一行とは知らず面白く囃しながら芦を売り、笠尽しの舞を見せる、というところ。4人の地謡を従えた演者が、舞台を大きく使って動きのある舞いを舞います。わずか8分と短いものですが、揺るぎのない舞い、声音の深みに、まず最初にがんと覚醒させられた感じ。
禰宜山伏
続く狂言「禰宜山伏」は、羽黒山からやってきた山伏が茶屋で休んでいる禰宜にあれこれ難癖をつけるが、茶屋の主人の機転で大黒天を相手に祈祷勝負をすることになり、負けた山伏が這々の態で逃げていくという話。この山伏が、なんとも品が悪いというか乱暴というか。最初に自分は羽黒山の山伏です
と自己紹介するのですが、この「です」は中世においては下品なことば(「山伏でやんす」みたいなニュアンス)なのだそうです。そして、何かというと茶屋の主人を恫喝して、「熱い!」だの「温い!」だの、「もういらないと言ってるだろう!」だの。この山伏に難癖をつけられた禰宜が裏口から逃れようとすると茶屋の主人があわててそれでは自分が迷惑
(困惑してしまう、くらいの意味)と引き留め、大黒天を引っ張り出してきます。床机に腰掛けた大黒天に禰宜が祝詞を捧げるとぴょこぴょこと足を上げて踊り始めるのに、山伏が数珠をじゃらじゃらさせながらがさつに祈祷すると大黒天はそろそろと身体の向きをかえてそっぽ。それを山伏が祈りながら自分の方に向き直させるのが強引で、会場に笑いが広がります。ついに怒った大黒天が立ち上がり、打出の小槌を振るって山伏を追い回したために、山伏は橋掛リへと逃れていき、禰宜と茶屋の主人もやるまいぞ、やるまいぞ
と後を追います。
熊野
休憩の後、能「熊野ゆや」。『平家物語』巻の十、平重衡の海道下の一節を下敷きにしたもの。桜の季節にはまだまだ早いですが、これは代表的な春の能(秋は「松風」)。最初にゆらりと登場するワキ・平宗盛が是は平の宗盛なり
と名乗るところで、リンボウ先生の解説によれば平曲に親しんでいた昔の観衆は「あー、あの優柔不断な宗盛か!」となるのだそうで、たしかに愛妾・熊野が病気の母のもとへ帰りたがっているのを知りながら此春ばかりの花見の友と思ひ留め置きて候
などと言うのはいかにもですが、この宗盛のややかすれた低く震えるような声は、やはり貴人にして、しかも(たとえこの曲が現在能ではあっても)すでにあの世の者であるかのようです。続いてツレ・朝顔登場。橋掛リで幕に向かって案内を乞い、シテ・熊野が現れます。ツレから渡された母の手紙を読み終えたシテは、この手紙を持ってワキのもとへ行きますが、ワキは見るまでもなしそれにて高らかに讀み候へ
。これまたリンボウ先生の受け売りで、ここ(文之段)は流派によってそれにて高らかに
というのと、さらばもろともに読み候べし
と一緒に読むのと二通りあります。宗盛のデリカシーのなさ(?)を強調する前者、後に同情して暇を与える結末への伏線とする後者、とそれぞれ理由あり。ともあれ、ワキは暇を許さず、かえって花見への同行を命じます。シテは牛車を模した竹籠の作り物に入り、ワキも正面を向いて、道行。地謡によって京の名所を経巡る様子が謡われ、春の都の浮き立った雰囲気が漂うところですが、演者には動きはほとんどないし、謡の文句は頭に入っていないしで、あやうく睡魔に負けそうに……。清水寺に着いて、観音堂に祈りを捧げていたシテが呼び戻されて酒宴に花を添える、中ノ舞。ここは落ち着かない心を示すため、はやく舞われます。囃子方の掛け声、鼓が圧倒的な迫力。ところがにわかの村雨に花は散り、場面は急展開。はやはや暇とらするぞ東に下り候へ
で橋掛リを下がっていくシテは、一散に母の待つ東路へ。そして、ややあってやはり橋掛リを下がっていくワキには、ひとときの昔語りの幻を見せて、また黄泉へと帰っていくかのような余韻を感じます。