2005年の歌舞伎座は、まずは三番叟で新年を言祝ぎます。
松廼寿操三番叟
松羽目の舞台で、翁(歌六丈)、千歳(高麗蔵丈)の荘重な舞の後に、後見(猿弥丈)に操られて糸操りの三番叟の人形(染五郎丈)が人形振りで舞うのですが、後見との息がぴたりと合って気持ちよく、常に片足に重心を置いて吊られている様を表現したり、糸がもつれての回転や糸が切れてだらりとする姿が巧み。明るく、品があって、しかもおかしみのある祝祭舞踊です。
梶原平三誉石切
吉右衛門丈の家の芸。梶原景時が二つ胴の場面で刀の柄に下げ緒を巻くところが吉右衛門型、とイヤホンガイドの解説。頼朝の再起を告げるちょい役の奴が染五郎丈というのも不思議ですが、昔からこの役は梨園の御曹司が演じる役なのだとか。かわいそうに試し斬りにされる罪人の剣菱呑助(秀調丈。それにしても、なんという名前だ……)が酒づくしの台詞で清酒だけでなく「百年の孤独」や「一番搾り」を交えるのが笑いを誘います。
盲長屋梅加賀鳶
黙阿弥の「盲長屋梅加賀鳶」は、ずいぶん前に天王寺屋の道玄で観たことがありますが、高麗屋のもなかなか。序幕の勢揃いで加賀鳶の頭の男ぶりを見せた幸四郎丈が二幕目からは滑稽味もある悪役・按摩の道玄を演じるのが面白く、質見世でだんだん高飛車になっていくねちっこさと、松蔵(三津五郎丈)にあっけなく偽計を暴かれてへなへなと腰砕けになる情けなさがいかにも。弁慶や松王丸もさることながら、かえってこういう世話物の端敵もはまっている感じ。おさすり、と呼ばれる色気のある悪女お兼を福助丈が演じますが、私の後に坐っていた夫婦の会話「福助は、こういう嫌らしい女が似合うわねぇ」「うん、お姫様なんかは全然合わないね」おいおい……。なお、鳶頭の松蔵・梅吉、それに竹垣道玄の3人で松竹梅で、桜が竹に変わっているものの菅原伝授手習鑑を連想させる仕掛けなのだとか。
昼の部を助六をもじった「女伊達」で締めて、夜の部は歌舞伎十八番の内「鳴神」から。
鳴神
これはもう鳴神上人(三津五郎丈)と雲の絶間姫(時蔵丈)の絡みが見どころで、権威溢れる高僧の上人が百戦錬磨の絶間姫の手練手管に絡めとられて情けなくも己の情欲に負け、酒にも負けるところが観ていてかわいそうになってきます。上人の手が胸に入っているときの絶間姫の恍惚とした表情も色っぽさを通り越していて、ちょっと子供には見せられない感じ。後半の荒事も面白く、ぶっかえりで衣裳が変わったあとは、所化たちとの立廻りで所化のひとりが3mの高さからとんぼを切らされたり、人形がぶっ飛ばされたり、やりたい放題。最後は花道を飛び六法で、これぞカタルシス。
土蜘
松羽目物の荘重さの中で高僧(吉右衛門丈)が源頼光(芝翫丈)の前に土蜘の本性を顕わす前半と、平井保昌(段四郎丈)や四天王と茶色の隈取りの土蜘が千筋の糸が飛び交う中で激しく立ち廻る後半の、静と動の対比が見事。特に前半、いつの間にか花道を音もなく近づいている高僧=土蜘の不気味さは背筋がぞくっとするほどで、この瞬間を観るだけでもこの日歌舞伎座に足を運んだ甲斐がありました。なお、頼光に「ご油断あるな」と警告を発する太刀持ち音若の児太郎も好演。児太郎くんは芝翫丈のお孫さん(福助丈の長男)ですから、孫が祖父を助けるの図というわけですね。
新皿屋舗月雨暈
「魚屋宗五郎」。以前観た三津五郎丈の宗五郎は酒を呑んで徐々に酒乱になっていく移り変わりが真に迫っていておかしかったのですが、幸四郎丈の場合は素面のときからのべらんめえ調のせいで、酔った姿が面白くはあっても落差はそれほど感じませんでした。そのかわり、端正でない分磯部邸での涙の訴えが泣かせるし、酔いが醒めた後にうってかわって殿様に感謝する、という以前は不自然に感じた展開もより違和感の少ないものになりました。
曜日の並びの関係で短かった今年の正月休みでしたが、最後は歌舞伎座で一日過ごして幸せ。今年もたくさん芝居を観よう。ただし、それにはもっと観劇のための勉強を重ねなければ。