「菅原伝授手習鑑」「仮名手本忠臣蔵」と並ぶ丸本歌舞伎の三大傑作のひとつ「義経千本桜」(初演:1747年)の通し上演は、一昨年も国立劇場と平成中村座で行われ、平知盛・いがみの権太・狐忠信を前者は團十郎丈、後者は勘九郎丈が演じ分けるというので大きな話題になりましたが、このときはチケットがまったくとれずに泣く泣く見逃していました。国立劇場では二部制で「堀川御所」から「奥庭」までの通しでしたが、今回の歌舞伎座での公演は「鳥居前」から「川連法眼館」まで。
伏見稲荷が舞台の「鳥居前」での忠信(菊五郎丈)は火炎隈の荒事芸が理屈抜きの面白さ。ユーモラスな笹目忠太(十蔵丈)率いる鎌倉方の追手をやっつけるところでは全員がひとつの形態摸写をするのですが(以前見たときは西暦2000年を祝って「2000」の文字でした)、今回のは何か角のある生き物のようにも見えました。いったい何だったんだろう?
「渡海屋・大物浦」は平知盛(吉右衛門丈)の物語ですが、銀平での世話物らしい台詞術がすばらしく、相模五郎(三津五郎丈)をいなしてみせるせりふのひとつひとつに拍手が涌きます。一方の相模五郎、出だしの名乗りでゲジゲジ眉を上下させて見せたのはおそらく人形を模したもの。この場では威張っているのに銀平に手もなくやられ、魚づくしの捨て台詞を述べて情けなく引き下がる三枚目なのですが、その後に悲壮感漂う武者姿で再登場するわけで、三津五郎丈の芸の幅の広さを再認識。そしてクライマックスは血まみれの知盛が碇綱を体に巻き付けて入水する場面。岩の上で碇を抱え上げ、後ろの海に投げ入れると足元に巻かれていた綱がどんどん引かれていき、そして綱の長さが一杯になって知盛がぐっとこらえた後、仰向けにのけぞり足裏を見せて背中から飛び落ちる場面はすごい迫力です。
「道行」は雀右衛門丈の静。様式美の舞踊劇ですが、忠信のスッポンからの出、「鳥居前」の再現のような逸見藤太(團蔵丈)なども面白い。最後、花四天のひとりが横走りに宙返りして静に杖・笠を渡し、ゆうゆうと花道を下がるところを逸見藤太に「忠信やらぬ」と声を掛けられ忠信が自分の笠を花道から舞台中央の藤太へと斜めに投げたのですが、あいにく手元が狂って笠は右にそれ、そのまま客席へ。幕が引かれてからお客がその笠を舞台上の大道具さんに渡して、大道具さんが(いや、すみませんね)と笑顔を返していました。
夜の部はいがみの権太の物語から。「木の実」で登場した権太(團十郎丈)は悪党の凄みがありながら軽み・愛敬もあり、親子の情(権太が幼い息子にサイコロを教えて「二六の丁!」と言わせるところは抱腹絶倒)も見せて観客に感情移入させなければならない一筋縄ではいかない役柄(権太は「すし屋」より「木の実」の方が難しいと言われるそう)ですが、ここは團十郎丈がきっちりつぼを押さえてくれていました。そして「小金吾討死」での小金吾(信二郎丈)は、歌舞伎でこれだけ激しい立廻りはちょっと見たことがないというくらいスピーディーなもので、暗夜の竹薮の中での大勢の捕り手との息も詰まるような打ち合い、縄をクモの巣のように使った殺陣が手に汗を握らせます。傷付き、追い詰められながら内侍と六代を探し続ける前髪武者の小金吾の哀れな最期は、涙なくしては見られません。
そして「すし屋」では、前半の弥助実は維盛(時蔵丈)と鮓屋弥左衛門の娘お里(魁春丈)のやりとりや権太が母から三貫目を騙しとるあたりがユーモラスですが、後半一転して悲劇となっていきます。「義経千本桜」のストーリーは、源平合戦後も実は生きていた平知盛・維盛のその後の運命と、狐忠信が親=初音の鼓を慕いつつ静御前を守護する話の二本立てで、義経自身は主役ではないのですが、考えてみればここで権太一家が悲劇に見舞われるのも、もとをただせば維盛が壇ノ浦で死んだはずなのに実は生きていた(史実では屋島合戦の際に脱出して高野山へ、その後熊野で入水)ことに由来するので義経のせいと言えなくもありません。してみると、この話も単純な判官びいきに対するアンチテーゼと読めるかも、などと妄想を膨らませながら見ましたが、梶原景時が出てきて大好きな富十郎丈なのに気づき、大喜び。こういう敵役でも性根は立役という肚のすわった役柄をやらせたらこの人の右に出る者はいません。
最後はお楽しみ、四の切の「川連法眼館」。猿之助風の欄間抜けや宙乗りこそないものの、三段での出、わずか数秒の早替り(下手で床下に落ちて上手から駆け出してきたからこれは大変)、欄干渡りなど視覚的に楽しい。「川連法眼館」だけならこれまでにも何度か見たことはありますが、こうして通しで見てみると、菊五郎丈の忠信は「鳥居前」の荒事、「道行」の様式美、「川連法眼館」での本物の忠信の風格、狐忠信の情と多様な役柄を演じ分けて、まさに匠の技を見るようでした。