今日は三月大歌舞伎の初日。夜の部を観ようと歌舞伎座に午後4時頃着いてみると、どうやら昼の部が予定外に押しているらしく歌舞伎座前は開場待ちの客で賑わっていました。最後の1枚が残っていた3階B席は西の一番舞台寄りで、座ったままでは花道を見ることができない場所でした。
俊寛
仁左衛門丈・猿之助丈と観て今日は幸四郎丈。三津五郎丈の丹左衛生門と橋之助丈の丹波少将がそれぞれ仁にかなっていて、それ以上に左團次丈の瀬尾太郎は「慈悲も情けも身どもは知らぬ」の憎々しげな台詞がもうこの人しかいないという感じ。幸四郎丈の俊寛は、最後のいったんは思いきったものの再び望郷の念に取り憑かれ、やがて放心するあたりのめりはりがもう少し欲しかったかな。
十六夜清心
河竹黙阿弥得意の悪の美を描く世話物。仁左衛門丈の清心と玉三郎丈の十六夜に左團次丈の白蓮、秀太郎丈のお藤と充実した配役です。冒頭、稲瀬川端でわいわいやっている町人が、証文のつもりで読み上げてみると清元や役者の配役表だったというくすぐりで舞台が始まり、清元独特の高い粘った声(ついでに書くと見台は房なしで足が箱)で清心と十六夜の心中に至るまでが語られます。水練の心得が邪魔して死にきれず、泳ぎついた百本杭川下で誤って寺小姓求女を殺してしまうまでの清心には、黙阿弥の七五調の名セリフがあってもまるで感情移入できなかったのですが、月明りに照らされて「しかし待てよ」と悪に目覚めるところからようやくエンジンがかかってきました。一方の十六夜は最初の出が花道で、これを真上から見下ろすかたちになりましたが、玉三郎丈の風情のあるたたずまいはこの角度からでも十分に魅力的です。ところが、その十六夜改めおさよが大詰の白蓮本宅になるとこれも悪に目覚めてがらっと雰囲気が変わり、声の調子もぐっと低くドスがきいて、座った姿も首を落とした猫背、目つきもむしろ清心=清吉よりすわっていますが、それでもあくまで女。この大詰めの強請り場でお客もぐっと盛り上がってきましたが、残念ながら今回は通し狂言といいつつ3人が捕り手に囲まれるところで終わり。やはり、最後の清吉とおさよの因果応報の死まで筋を追ってほしかったと思いました。