2009年06月

点記

2009/06/28

先週片付け損ねた5級課題をゲットすべく、昼前から荻窪詣で。この日も、宿敵(?)Y女史との間にシビアなバトルが展開したのですが……そろそろ4級勝負に昇格したいところ。外岩では超お買い得4級も登っているんだけどなあ。

Y女史(1)←click!!

上は失敗例、しめしめ。下は成功例、といっても既登課題。

Y女史(2)←click!!

14時過ぎまで2時間半の練習で、狙いとは異なる課題をそれぞれにゲットして、うれしさ半分で向かったのは小洒落たイタリアン「TRATTORIA OROLOGIO」。一週間前に、美食はもうやめようと心に誓ったのに……。

TRATTORIA OROLOGIO

バトルを終えて、渋谷への移動の途中の新宿で見かけた光景が、こちら。

アルプス広場

アルプス広場もずいぶん綺麗になったものです。昔は北アルプスや南アルプスへ登山に行くときは、このアルプス広場で列を作って中央本線の夜行に乗ったものですが、今は夜行列車もほとんどなくなって、「アルプス広場」の名に見合う機能をこの空間が果たしているかどうか疑問。

アルプス化粧室

こういう名前のトイレなんて、ありましたっけ?

さて、北アルプスの代表的な山と言えば、槍に穂高、そして劔岳。この日のメインイベントは、映画『劔岳 点の記』です。

劔岳 点の記(映画)

【あらすじ】陸軍参謀本部陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎を夫に持つ若妻・葉津よ(宮﨑あおい)は、前人未到の劔岳に山岳会よりも先に登頂し、三角点を設置せよとの使命を課せられた夫を励まし、その荷の中にそっとお守りを忍ばせる。柴崎は艱難辛苦の末に劔岳への登頂を果たすが、そこで見たものは奈良時代の修験者の錫杖と剣だった。初登頂ではなかったことを新聞が書き立て、陸地測量部の首脳も激怒するが、葉津よは優しく夫を迎えるのだった。

ポスター

と、あおいちゃん中心にストーリーを再構築してみました。

劔岳 点の記(原作)……それはともかく、映画は新田次郎の原作(右の画像をクリック)とは設定を変えているところも散見されますし、登山の場面で言えばその天候で行動はしないだろう?とか、雪崩をまともに受けて跳ね飛ばされないはずがないだろう?とか、いきなり三角点の資材を担いで未踏の登路を登ったりはしないだろう?といった疑問点も若干ありますが、オールロケで撮影されているだけに映像はいたって丁寧です。ただ、やたらと暴風雨のシーンが連発されるのにはちょっと辟易する上に、ずいぶんと生真面目な映画で人間ドラマもいまひとつ平板だし、何より最後の登頂があっさり達成されたようにしか見えなくて残念。実際には俳優さんたちが長次郎谷を旧式装備で登って北方稜線に出るというけっこう難しいことをしているのですが、だいたいこういうシーンで本当の難しさを映像的に表現するのは至難ではあるでしょう。それにしても、何か脚本にひと工夫が欲しいと感じました。

なお私自身は、劔岳にこれまで4回登頂しています。

でもって来年のゴールデンウイークには、行けるものなら劔尾根を登ってみたいと思っているのですが、果たしてどうなるでしょうか。

愛奔

2009/06/25

iPhone思うところあって、明日から携帯電話をiPhoneに変更予定。

  • MNPで移行するので、携帯電話番号(090-…)は変わりません。
  • メールアドレスは、ソフトバンクドメインではなく、このサイトの連絡先と同じ(@mac.com)にするつもり。
  • よって、私からのメールを携帯電話で受け取る可能性がある方で、迷惑メール対策のためにドメイン規制をかけている場合は、「@mac.com」を受信できるよう設定変更して下さいませ。

お父さんクリアファイル

以上、業務連絡でした。

恐縮

2009/06/20

先日の小川山行で腰を傷めたため、久しぶりに練馬高野台の松本クリニックを訪問。待合室で1時間程待って診察していただき、その後リハビリルームへ移動しましたが、相変わらずここの先生方は最小限の触診でピンポイントでこわばっている筋肉を探し出し、ぐりぐりと痛気持ちいい攻撃を仕掛けてきます。おかげでずいぶん楽になった感じで、助かりました。ただ、ちょうどこの日は、ボルダリングのし過ぎで指の関節が痛むというY女史も松本クリニックに来ていたのですが、二人して受付で待っている間にも大勢の患者さんが、膝や腰の痛みに顔をしかめながら必死の思いで歩いているのを見て、「我々ごときがクリニックに来てよかったのだろうか」と恐縮するばかりでした。

カラファテ

クリニックの後は、目白のカラファテに立ち寄ってカラビナとスリングを買い足し、新宿でさらにお買い物をしてから、いよいよ本日のメインイベント、荻窪のB-PUMPに見参です。

Y女史

長もの5.10bでアップのつもりがそれだけで前腕が張ってしまいましたが、とにかくジム後のビールを賭けてY女史と5級対決を繰り広げ、新たに5級4本を開拓し1勝3分け。3時間ほども登って指が終わりかけたときに、何げにSakurai師登場。彼は1階の1級課題を片付けにきたようでしたが、Y女史とも御岳渓谷でのボルダリングで顔見知りになっている縁で、5級課題のお手本を示してくれました。かぶった壁をまるでフツーに歩いているかのようなSakurai師の動きに、Y女史も驚嘆。これまた恐縮であります。

Sakurai師

ひとしきり3人で壁にとりついた後ひと足先にジムを出たY女史と私は、真っ赤にはれ上がった指や手のひらを気にしつつ、前からちょっと気になっていた近所(杉並公会堂の裏手)にあるパスタ専門店「PASTA Amare」に入ってみました。ディナータイムにもかかわらずリーズナブルなお値段と特徴のある味の前菜やパスタはなかなかGoodでしたが、各種煩悩(趣味)多き我々の話題は結局のところ「Sakurai師の領域に達するためには、何を捨てなければならないのかなぁ」でした。

PASTA Amare

……まずは、美食から捨てるべきか?

手品

2009/06/17

半年振りの洋弓部時代の同期の集まり。今回はほとんど卒業以来となるシンヤマやカジタも加わって、懐かしい再会となりました。髪が後退していたり白いものが混じっていたりするのはごく自然なことですが、それにしても表情やキャラクターは学生時代とまったく変わりません。特に、カジタの下宿には何度も泊まりがけで飲みにいった仲なので、もろもろの昔話に花が咲いたり、現在の勤め先の仕事がらみで「○子さまって、どうよ?」「皇○子様は偉いよね(←微妙にすれ違い答弁)」などと盛り上がってみたり。ちなみに彼自身は侍○職ではなく書○部で、今の仕事は昭○天○史の編纂なのだとか。

同期会(1)同期会(2)

さらにカジタが披露してくれたのが、趣味の手品。なんでもかなり本格的に取り組んでいるそうで、実際にステージに立つこともあるのだそうです。どうやら我々の前で腕前を見せたくてうずうずしていたらしく、話の切れ目をとらえて自ら小道具をとりだすと、数種類のテーブルマジックを次々に演じてくれました。多少のミスがあるのはご愛嬌、それでも正面だけでなく真横から見ていても「えっ、いまどうなったんだ?」と驚かされる指先の技に一同感心しきりでした。

しかし、イシイが「これやってるとボケないよね」と率直な感想を漏らしたのには苦笑。まぁ、確かにそういうことも気にしなければならない年齢になってきているのかも知れません……。

灌頂

2009/06/12

平家物語『平家物語』を、ようやく読了。

……こう書くと、なんだかいやいやながらに読んでいたような言い方ですが、通勤の行き帰りにちょっとずつ読み進め、しかも途中で別の本に手を出したりしていたので、巻頭の「祇園精舎」を開いてから最後の「女院死去」まで、実に一年もかかってしまいました。

『平家物語』は、保元・平治の兵乱を経て平清盛が権勢を確固たるものにした後から書き起こされ、清盛と後白河院の二軸対立を中心にゆったりと筋を進めた後、清盛の死と源氏の勃興を経て、後半は源平合戦から平家の都落ち、そしてその滅亡までを一気呵成に描ききる軍記物。その文体はほれぼれするくらいの美文で、和漢の典籍の縦横無尽な引用からは作者の教養の程が窺えるうえに、たとえば経正の竹生島詣での穏やかな叙述の次の章に一転して木曽義仲の蠢動をぞっとするほどの迫力で語ってみせるなど、極めて巧みな筋の運びで読ませます。また、一ノ谷での敦盛最期や屋島での那須与一のエピソードなどは誰でも知っているでしょうが、何と言っても凄いのは壇ノ浦での戦いの描写。一門滅亡を目前にして鬼神のような働きで義経に肉薄する猛将・能登守教経の豪勇、見るべき程の事は見つと語って慫慂と海に沈んだ知将・新中納言知盛の見事な死に様に圧倒されるとともに、浪のしたにも都のさぶらふぞと言う二位尼に抱かれて入水した安徳帝を悼む一節はひときわの美文が痛切です。

そもそも、以前にも書いたように『平家物語』を読み出したのは能を観る上での基礎知識を蓄えようという目論見があってのことだったのですが、なるほど読み進めてみると、こうした縦糸の中に、夫婦愛(夫・通盛の後を追って身投げした小宰相や、南都に引き渡される直前の重衡と妻・大納言佐の別れ)、親子愛(一ノ谷での梶原父子や壇ノ浦での宗盛父子)、主従愛(木曽義仲と今井兼平)、そして兄弟の対立(頼朝と義経)などのさまざまな人間模様が印象的なエピソードとして随所に散りばめられており、そうしたエピソードのひとつひとつが、能作者に格好の題材を提供していることがよくわかりました。つまり、これまでは「熊野」「通盛」「清経」などから『平家物語』の世界を垣間見るという見方だったのですが、これからは『平家物語』が先に頭の中にあって、なるほどこの謡曲はこのエピソードをふくらませたのか、という(本来の)見方ができるようになったわけです。また、『平家物語』はもちろん文楽や歌舞伎にも題材を提供しているわけで、たとえば『義経千本桜』の「大物浦の段」での内侍・安徳帝の描写は『平家物語』の「先帝身投」をそのまま引いていますし、「すしやの段」で維盛が妻の内侍に高尾の文覚へ六代が事頼まれよと息子の六代の庇護を文覚に求めるよう指示しているのは、北条時政に捕われてあわや斬られようとした六代を文覚が頼朝と掛け合って救ったエピソードに由来するということもやっとわかりました。しかし『平家物語』は、義経が都を追われ、やがて後白河院も、さらには頼朝も亡くなった後も生き延びたその六代(平家嫡流の最後の一人)が遂に斬られるところ(「六代被斬」)で本編十二巻を終えた後、エピローグとして少し時間を遡り、大原の寂光院を訪れた後白河院に尼となった建礼門院が自らの生涯をしみじみと語るある一日を描き、最後にその往生をもって物語全体を締めくくる「灌頂巻」を配します。

以下、蛇足。

我々は平家滅亡の結果を知っているので上記のように「一気呵成に」平家が追い落とされたように思っていますが、『平家物語』の中でもそれとなく記されているように、後白河院は途中まで平家との妥協を模索した様子です。それというのも、平家が都を落ちた際に安徳帝と共に三種の神器を持ち出したからで、おそらく後白河院にとっては政治交渉で三種神器を取り戻すことが最優先事項だったのでしょう。しかし遂に平家を最後まで追い詰め、壇ノ浦の合戦で玉と鏡は回収したものの剣を失うことになったのは、あくまで軍事決着を急いだ源氏の圧力に押し切られた結果であり、平安貴族層と鎌倉武士団との力学の転換点がここにあったのかも知れません。それはさておき、剣が二位尼と共に海に沈んだということは、今は三種の神器は揃っていないのか?という疑問が湧きますが、しかしWikipediaによれば、もとから剣は熱田神宮に、鏡は伊勢神宮に安置されており、歴代天皇が即位に際して用いる神器は玉以外は形代(レプリカ)なのだそうです。

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