2008年12月
静夜
フィラデルフィア出身でロンドンに制作拠点を置く双子のパペット・アニメーション作家、クエイ兄弟。彼らの作品に触れたのは、お勧めレーザーディスクを紹介する雑誌で『ストリート・オブ・クロコダイル』が採り上げられているのを見て、その幻想的な作風に興味を持ったことに始まります。
このLDは9,300円もして買うのに勇気がいりましたが、すぐにお気に入りの作品となりました。タイトル作品の「ストリート・オブ・クロコダイル」は、埃だらけの模型の町、空っぽの頭蓋をあらわにしたマネキン人形たち、意思を持っているかのように蠢くネジ、丁寧に紙に包まれる生の肝臓といったおぞましいイメージが、パペット・アニメーションならではのシュールな動きを見せて名状しがたい不安を見る者の脳裏に刻み付けます。このLDには他にも「レオシュ・ヤナーチェク」「ヤン・シュバンクマイヤーの部屋」「ギルガメッシュ / 小さなほうき」「失われた解剖模型のリハーサル」といった、いずれも悪魔的で魅力あふれる1980年代の作品が収録されていましたが、1999年に映画館BOX東中野の企画『ブラザーズ・クエイ短編集Vol.2』を見て、このLDに収録されていない「スティル・ナハト」シリーズにノックアウトされてしまいました。ダークで悪魔的なエロティシズムが漂うアリスとうさぎの世界は、一度見たら二度と忘れられません。
この作品をもう一度見たいと長年思っていたのですが、ふとしたきっかけで中古DVDの輸入販売サイトに「スティル・ナハト」を含む『The Brothers Quay Collection』が紹介されているのを見つけ、迷うことなく注文した次第。収録作品は、以下のとおりです。
- The Cabinet Of Jan Svankmajer (1984年)
- The Epic Of Gilgamesh Or This Unnameable Little Broom (1984年)
- Street Of Crocodiles (1986年)
- Dramolet (Stille Nacht I) (1988年)
- The Comb (From The Museums Of Sleep) (1991年)
- Anamorphosis Or De Artificiali Perspectiva (1991年)
- Are We Still Married? (Stille Nacht II) (1991年)
- Tales From The Vienna Woods (Stille Nacht III)(1992年)
- Can't Go Wrong Without You (Stille Nacht IV) (1992年)
本当に久しぶりにこれらの作品を見ましたが、うーん、やはりすごい。彼らの作品の世界観を言い表す単語をひとつだけ選ぶとすれば「悪夢」……でしょうか?
[2008/12/24]
締括
いつものクライミング仲間たちと、今年最後のインドアをT-WALL錦糸町。
2008年は、谷川岳で墜ちて負傷したりランで肉離れに見舞われたりしたものの、とにかく無事に一年を締めくくることができてよかった。2009年も、まずは安全第一でクライミングを続けていくつもりです。
[2008/12/21]
砂男
今日はしとしと雨につき、昼過ぎまで家で逼塞。そんなわけでこの曲を、耳コピーで練習してみました
何度聞いても途中のTill the sandman he comes
が千代田生命に行こう!
に聞こえてしまう不思議な曲(?)ですが、やっぱりかっこいい!ただし、オリジナルにない最後の速弾きは、スケールをはずしているように思うんですけど……
[2008/12/14]
手前
日本語は難しいという話をしたばかりですが、これはたぶんシンプルな誤用の例。

男性諸氏ならすぐわかるでしょうが、公共のお手洗いに入ると、男子小用の朝顔の上にこういうシールが貼ってあるのをよく見かけます。しかし、この文章はなんだか変。朝顔とその前に立つ利用者の位置関係からすると、「もう一歩手前」とは「一歩後ろに下がれ」と言われていると解釈するのが自然ですが、もちろんこれは、その逆を期待しているはず。

そうそう、これならわかります。そう言えば以前、北アルプスの横尾山荘のトイレで「一歩前へ!君のはそんなに長くない」という川柳のような貼紙に笑わされたこともあります(女性には意味不明かと思いますが
)。英語で言えば、"One Step Closer"ですね。
[2008/12/12]
曖昧
ここに「黒い目のきれいな女の子」という一文があります。
問)この子は女の子でしょうか?
答)そうとは言いきれない。
これは、日本語の曖昧さを例示する有名な文章なので、すでに知っている人も多いと思います。しかし、今日、会社のプロジェクトマネジメント研修でホワイトボードに板書された上記の文章を前にして、ほとんどの受講生がつまずいてしまいました。
研修自体は、プロジェクトマネジメント技法のスタンダードであるPMBOKをベースに、PMとしての基礎的な方法論を学ぶという初歩的なもので、今さらの感もありましたが、現在の勤務先での共通言語を学んでおいて損はないだろうと手をあげたもの。当然、プロジェクトマネジメントはプロジェクト目標を設定し、これに基づいてWBSを記述するところからスタートするわけですが、大事なのは発注者との間でスコープをしっかりと合意しておくこと。これがおろそかだと、あとあと仕様変更やら追加テストやらが生じてコストオーバーランの失敗プロジェクトとなってしまいます。こうした事態を回避するためには、曖昧さを排除した日本語の使い方ができなければならない、ということで冒頭の設問になったわけです。
以下、解釈の例をあげてみましょう。
- 黒い目の、きれいな女の子。→ 黒い目をした、きれいな女の子。(←第一感はこれ……。)
- 黒い、目のきれいな女の子。→ 肌の色が黒い、目のきれいな女の子。
- 黒い目のきれいな、女の子。→ 黒い目がきれいな、女の子。
- 黒い目のきれいな女の、子。→ 黒い目がきれいな女の人の、子供。
- 黒い目の、きれいな女の、子。→ 黒い目をしていてきれいでもある女の人の、子供。
- 黒い目の、きれいな女の、子。→ きれいな女の人の子で、その子は黒い目をしている。
- 黒い目のきれいな、女の、子。→ ある女の人の子で、その子は、黒い目がきれい。
- 黒い目のきれいな、女の、子。→ ある女の人の子で、その女の人は、黒い目がきれい。
読点の、適切な、使い方によって、曖昧さは、相当程度、排除できる、ということなのですが、日本語は、本当に、難しい。
[2008/12/09]
少女
「深海」に続くSFつながりで、光瀬龍『百億の昼と千億の夜
』の話。
寄せてはかえし
寄せてはかえし
かえしては寄せる波の音は、何億年ものほとんど永劫にちかいむかしからこの世界をどよもしていた。
というオープニングが早くもスケールの大きさを予感させるこの作品は、太古の海からカルタゴを訪れるプラトン、アトランティスの崩壊、悉多達太子の求道、エルサレムでのイエス処刑を経て、いきなり西暦3905年の荒廃しきったトーキョーに飛び、惑星開発委員会が置かれたアスタータ50でのMIROKUとの戦闘ののち、ついにはアンドロメダ星雲の第八象限の惑星で圧倒的な寂寥感に包まれつつ幕を閉じます。
光瀬龍の作品の中でもとりわけ評価の高いこの『百億の昼と千億の夜』の人気は、そのスケールの大きさや全編を貫く無常観もさることながら、主人公のひとり阿修羅王の魅力に負うところが大きいと言えます。この作品の中では、阿修羅王は美少女の姿をとって読者の前に現れ、決して勝つことのない戦いを戦い続けます。
この作品は萩尾望都によって漫画化
されていますが、彼女もまた、阿修羅王の魅力にとりつかれた一人でした。以下は、世界の破滅の真相を究めるべく兜率天を訪ねた悉多達太子が初めて阿修羅王と出会う場面。そして右の画像は、萩尾望都が描いたこの二人の姿。
はためく極光を背景に一人の少女が立っていた。
「阿修羅王か」
少女は濃い小麦色の肌に、やや紫色をおびた褐色の髪を、頭のいただきに束ね、小さな髪飾りでほつれ毛をおさえていた。
「そうだ」
少年と呼んだほうがむしろふさわしい引きしまった精悍な肉づきと、それににつかわしい澄んだ、黒いややきついまなざしが、太子の心をとらえた。
しかし、なぜ『百億の昼と千億の夜』では阿修羅王は少女の姿をとっているのでしょうか?その謎を解明したのが、SFマガジン2008年5月号に掲載された宮野由梨香氏の評論「阿修羅王は、なぜ少女か」で、この評論は第3回日本SF評論賞を受賞しています。ここでは、『百億の昼と千億の夜』の旧ハヤカワ文庫版に付された「あとがきにかえて」を手がかりに、この作品がすぐれて光瀬龍の私小説としての構造をもっていること、そのことを萩尾望都ですらも見抜くことはできなかったことを明らかにしていきます。
宮野由梨香氏はまた、この作品の3種類のテキストの異同、とりわけエンディングの違いを見比べていくことによって自らの立論を補強していきますが、その記述によって私は初めて、初出(SFマガジン連載時)では転輪王の正体が地衣類だったこと、《シ》が《主》ではなく《死》であったこと、この世界の外にあって影のように会話を交わすものたちの世界へ阿修羅王が送り込まれ、そこでオリハルコンの球体に包まれた重力場空間=我々の世界が影たちの実験のひとつに過ぎなかったことが明示されていたことを知りました。さらに、初出から四半世紀を経て最終改訂が加えられたハヤカワ文庫新装版のテキストでは最後に冒頭の「寄せてはかえし」のリフレインが再び配置され、「その幾千億の昼と夜」へ還りたいと願う阿修羅王の悲痛な喪失感の吐露で締めくくられることによって、この物語の全編が阿修羅王の目をもって叙述される構造へと変化したことが明らかにされており、非常に興味深いものがあります。
光瀬龍ファン、あるいは『百億の昼と千億の夜』のファンなら、必読の評論です。
[2008/12/06]
深海
人から勧められて読んだ『深海のYrr
』(フランク・シェッツィング著 / 北川和代訳)を、たいへん面白く読みました。
ノルウェー海で発見された、メタンハイドレートを掘り続ける無数のゴカイ。カナダ西岸で起こるクジラやオルカの攻撃、猛毒のクラゲや病原菌に満たされたロブスター。そうした数々の異変は、やがて海底の世界に2億年前から棲む、人類とは異なる進化を遂げた生命体が引き起こしたものであることがわかります。海洋を汚染し続ける人類を排除するために、その生命体=Yrr(イール)は北海に大津波を引き起こし、ついにはメキシコ湾流を止めて地球の気候を激変させようとさえします。Yrrの正体を探るために各国から招集された科学者たちは、米国のヘリ空母インディペンデンスに乗ってグリーンランド海でYrrとコンタクトを図り、ついに交信に成功するものの……というお話。
2004年にドイツで発表され、記録的なベストセラーになったというサスペンスタッチのSFで、日本語訳では文庫本で上中下3巻1600ページ。随所に石油開発産業、海洋生物学、遺伝子工学等々の豊富な知見が盛り込まれ、ディテールにこだわるタイプの読者にはたまりませんが、一方で非常にたくさんの登場人物のそれぞれについて丁寧に書き込まれたパーソナルなエピソードは、一部冗長に感じられるところもあるでしょう。それでも、上巻で次々に巻き起こる謎の事件の描写はサスペンスフルだし、下巻の後半、空母がYrrの攻撃を受けて大混乱に陥る場面はジェットコースターのようなスピード感があります。そしてラスト、登場人物のひとりが深海でYrrに接触する場面は、青白い光に包まれた美しいイメージを読者に見せてくれます。
Yrrの正体をこれ以上書くとこれから読もうとする読者の興味を損なうことになるので控えますが、DNAが世代の記憶を伝えていくという設定はクイサッツ・ハデラッハを連想させますし、ある種無機的で不気味な存在感を発揮するその振る舞いはソラリスの海に通じる部分もあります。ちょっと突飛なたとえですが、さまざまな専攻の科学者たちや軍人、CIAを結集させた空母インディペンデンスは、日本人には梁山泊を想起させるかも知れません。そうした先人の遺産へのオマージュも織り込みつつ、極めてハリウッド的な展開が映画向きで、実際に映画化もされるそうです。お勧め。
[2008/12/03]