2008年10月
年金
新聞の記事に、
<年金記録>訂正42万件が未処理 社保庁、処理追いつかず
というのがありました。ねんきん特別便を受け取った受給者からの記録訂正申請が急増する一方、社会保険庁の業務処理が追いついていない。
のだそうです。そういえばひと事ではなく、自分にも職場を経由して「ねんきん特別便」が届いていたのでした。

私の場合は転職を3回しているので、ちょっと複雑です。最初が国家公務員でまる9年、次に京都に本社がある経営コンサルティング会社に6年あまり、ついで東京の某IT企業に9年弱、そして今の会社ですが、その前に1ヶ月間の充電期間をおいてあります。したがって、年金制度への加入履歴としては
- 国家公務員等共済組合 108月
- 厚生年金 73月
- 厚生年金 107月
- 国民年金 1月
- 厚生年金 24月(今年6月時点)
ということになるはず。これで船員保険があればサイクルヒットだったのですが、冗談は抜きにして、確認したところ1.の公務員時代の履歴がすっぽり抜けていました。なんで?
「年金記録のお知らせ」の共済組合等加入月数欄に関する注を読んでみると「平成8年以前に退職した共済組合等の加入月数は、情報提供されていない場合があります」とあって、これは基礎年金導入前と後で取扱いが違うと言っているのだろうと推測されるものの、「場合があります」ってどういうことでしょうか?さらに「退職一時金が支払われた期間は含まれません」とも書いてあり、確かに公務員を辞めたときに退職金をいただいてはいるのですが、退職金の支払いと年金の受給は関係あるのかな?
……といった具合になんとも釈然としないので、何はともあれ「年金加入記録回答票」に「公務員時代の履歴も足して」と書いて社会保険庁に返送することにしました。皆さんも、お手元に「ねんきん特別便」が届いていたら必ずチェックしてみることをお勧めします。
注:「年金加入記録回答票」は、加入記録にもれや誤りがなくても返送する必要があります。
[2008/10/29]
奥深
知人のピアノ調律師ありか先生のお誘いで、彼女の友達である声楽家の栗田真帆さん(メゾソプラノ)と柏原美緒さん(ソプラノ)のジョイントコンサートを、台東区のミレニアムホールに聴きに行った(ピアノ:鳥井俊之氏)。土地柄のせいか客席は異常に平均年齢が高かったのですが、ステージ上の二人はちょうど三十路に乗ったばかり。大台乗りをネタにした自虐ギャグも交えつつ、オペラ歌手らしく軽妙なトークと曲にまつわる寸劇で巧みに曲間をつなぎながら、ミュージカルの曲を次々に歌ってくれました。
- タラのテーマ(「風と共に去りぬ」M.スタイナー)
- ベッラ・ノッテ(「わんわん物語」Sバーク)
- 雨に唄えば(「雨に唄えば」N.H.ブラウン)
- ソー・イン・ラブ(「キス・ミー・ケイト」C.ポーター)
- 慕情のテーマ(「慕情」S.フェイン)
- 侯爵様、貴方の様なお方は(「こうもり」J.シュトラウス2世)
- 恋はやさし 野辺の花よ(「ボッカチオ」F.v.スッペ)
- ハイヤ!山は我が故郷よ(「チャールダーシュの女王」E.カールマン)
- ショーほど素敵な商売はない(「アニーよ銃をとれ」I.バーリン)
- ジャスト・ユー・ウェイト(「マイ・フェア・レディ」F.ロウ)
- 虹の彼方に(「オズの魔法使い」H.アーレン)
- アイ・フィール・プリティ(「ウエストサイド物語」L.バーンスタイン)
- あんな男に〜私は愛している(同上)
- サムウェア(同上)
- トゥナイト(同上)
- 私のお気に入り(「サウンド・オブ・ミュージック」R.ロジャーズ)
- 踊り明かそう(「マイ・フェア・レディ」F.ロウ)
上記の他に「ドレミの歌」を会場の聴衆と一緒に歌うといったコーナーもあって、お年寄りにもフレンドリーな暖かみのあるコンサート。特に「マイ・フェア・レディ」の「ジャスト・ユー・ウェイト」(もちろん「ジャスト・ユー・ワイト」と訛る)での美緒さんの演技と歌いっぷりは、目の前にオードリー・ヘプバーンのイライザが現れたかのよう。真帆さんの「サムウェア」も、最後のパートでぐっと聞かせました。でも、ミュージカルは見せ玉にして、もっとオペレッタやオペラの曲を交えてくれてもよかったかも。なにしろ、オペレッタ「こうもり」から「侯爵様、貴方の様なお方は」では、ソプラノの美緒さんがその本来の力量を見せつけて会場を完全に圧倒したのですから。
さて最後に、このコンサートでスタインウェイの調律を担当したありか先生に、今回の調律方針を聞いてみましょう。
はい、今日はどちらかというとメゾソプラノを意識し、220HzのA音の下のF音から1オクターブと5度上のC音までの中音域で5度がきれいに鳴るようにしてあげて、高音域は倍音を出してきらきらした音色にしてみました。
うーん、なんだかよくわからないが、奥が深い……。


[2008/10/28]
勝沼
10月26日は勝沼でハーフマラソンのレースに参加することになっていましたが、せっかく秋の甲府盆地を訪れるのに日帰りで走ってくるだけではもったいないと、前日勝沼でワイナリーを訪問し、夜は塩山の温泉宿に泊まることにしました。

無料送迎バスで向かったのはシャトー・メルシャン。ちょうど「ハーベスト・フェスティバル」(直訳すれば「収穫祭」)期間中で、いろいろな演出が施されていました。

中庭には、まだ10時過ぎだというのにもう飲んだくれている人々が……。

少し離れたところにある「ワイン資料館」。館長さんのぼそぼそとした説明は、妙に味があって面白かった。

「大黒天印甲斐産葡萄酒」のポスター。宮内省御用達だったそうで、館内には米俵のかわりにワイン樽を担いだ大黒様の像もありました。

ここで館長さんが日本のワイン造りの歴史を説明してくれました。米不足に悩む明治政府が日本酒のかわりとして葡萄酒製造を奨励することになり、フランスから苗木を導入したのが始まりなのだとか。

バイ・ザ・グラス。グラスを買って(200円)、「シャトー・メルシャン」シリーズから好きなものを1杯ずつ楽しめます。私が飲んだのは赤のセット。
- ジェイ・フィーヌ メルロー&マスカット・ベリーA 2006
- 長野メルロー 2006
- 桔梗ヶ原メルロー 2004

上記のワインとともに、京王プラザホテル多摩のシェフがその場で調理してくれる「牛サーロインステーキ 和風ソース・大根おろしを添えて」をいただきました。

ぶどう踏み体験もできます。希望者に係のお姉さんが感想を聞くのですが、ぶどうが形をとどめていた最初のうちは「面白い!」「ひんやりして気持ちいい」といった感想が多かったものの、だんだんぶどうがつぶれてくると「気持ち悪いです……」となりました。自分もやってみればよかったな。そのぶどう汁でワインを作られても絶対飲まないでしょうけど。

「ソムリエによる明日から使えるワイントーク」。京王プラザホテルのソムリエが丁寧な解説をしてくれていましたが、こちらは飲み比べに忙しくてお話を十分理解できず……。
ともあれ、シャトー・メルシャンの半日はなかなか楽しめました。勝沼には他にもいろいろなワイナリーがあるし、ワインとBBQとか、定番のぶどう狩りとか楽しみ方はさまざまに考えられます。来年からも、この時期の勝沼を探訪してみることにするつもり。

午後3時には塩山の宿に着いて、ゆったり風呂&昼寝。そして夕食は、実に由緒正しい旅館メニュー。これだけ鋭気を養ったら翌日のレースは好結果が出そうなものですが、そうはならないのが人の世の常。詳しくは「第24回甲州市勝沼ぶどう郷マラソン」をご覧あれ。
[2008/10/25]
墜落
10月12日、一ノ倉沢の衝立岩ダイレクトカンテを3人で登りましたが、私の二度のフォールで敗退。
1P目を終えて2P目をリード中に、アブミをかけた3mmスリングが「バツッ!」という音をたてて切れ、そのはずみにバランスを崩し背中から墜落。こういうとき、本当に「うわーっ!」という声が出るものなんですねえ。6-7m垂直に落ちたところで最後にランナーをとった比較的新しいリングボルトが止めてくれて、幸い左手の派手な擦過傷と左臀部の打撲だけですみました。いったんロワーダウンし、同行者がリードで突破してくれた後、セカンドで再度登り返したところ、今度は途中でピトンの頭がちぎれてまたしてもフォール!勘弁してほしい……。結局、この二度のフォールでメゲたのと時間が押してきたために、敗退を決定。
テープアブミとベルクロ締めシューズとの相性の悪さやリストループの不備、フィフィをアブミにセットしておかなかったことなど用具面の反省も少なくありませんが、丸山東壁のような整備し尽くされたルートと違って、衝立岩のようにいつ破断してもおかしくないピトンやスリング頼りの人工登攀では、それらの安全性を見極める目と、自前の補強やデイジーでのバックアップなどルートの危険性を低減させる手順を尽くすことが大事だと、あらためて思い知りました。要修行。
[2008/10/14]
職子
プログレ好きな自分。……ではあるのですが、本格的にYesやらKing Crimsonやらを聴き始めたのは高校生になってからなので、実はこれらのバンドの最盛期にわずかに乗り遅れていて、たとえば「この前リリースされた『Close To The Edge』(1972年)はすごいな!」という会話はしたことがなく、かろうじて「この前リリースされた『Going For The One』(1977年)にRick Wakemanが復帰しているらしいぜ」と同級生たちと興奮しながら語り合ったのが、おそらくもっとも古い部類のプログレ談義です。当然、この時点ではKing Crimsonは跡形もなくなっています。
なので、1978年にJohn WettonがBill Brufordと共にU.K.を立ち上げたときは「やっとリアルタイムで応援できるバンドが出てきた!」と大いに喜びましたし、ファーストアルバムの『U.K.』(邦題は『憂国の四士』。この大仰なタイトルは当時のパンクブームに対するアンチテーゼと読むこともできますが、実は単純に「U.K.」と「憂国」の語呂合わせに過ぎません)で颯爽としたキーボードとヴァイオリンを操るEddie Jobsonには、心底惚れたものです。続く『Danger Money』でBillとAllan Holdsworthが抜けてもめげずに応援を続け、当然、中野サンプラザでのライブも聴きに行ってあまりの爆音に鼓膜を傷めかけたりもしたが、残念ながらU.K.は2枚のスタジオアルバムと1枚のライブ盤を残して解散してしまい、時代はディスコ〜産業へと暗転していきます。
その後Synclavierにのめりこみ徐々にロックシーンから遠ざかっていったEddie Jobsonが、あのTrey Gunnらと組んでUKZというニューバンドを始動させたというニュースに私が触れたのが8月。いったい何が今になって彼をその気にさせたのかは知る由もありませんが、今はただ、気まぐれなEddieがこのプロジェクトをしっかり仕上げてくれることを祈るばかりです。
そんな訳で、ここ数ヶ月の間に購入したEddie Jobsonの若かりし頃の参加アルバムをまとめて一言ずつご紹介。





左から右へ、以下の通り。
- Curved Air "Air Cut"(1973年):Eddieのキャリアの始まり。まだ17歳でシンセもヴァイオリンもこなれてない感じがありますが、ピアノは流麗。
- Roxy Music "Viva!"(1976年):ヴァイオリンが目立つが、テクニックを発揮しきっているとは言いがたい。それにしてもBrian Ferryって、とことん歌が下手……。
- Frank Zappa "Zappa In New York"(1978年):カオスのような凄いライブ。ここでTerry Bozzioと共演したことで、後のトリオU.K.にTerryを引き込むことになります。
- Jethro Tull "A"(1980年):U.K.解散後の録音で、もとはIan Andersonのソロとして始まったもの。ライブ映像がDVDでついていて、Eddie様のお姿を拝めます。
- Zinc "The Green Album"(1983年):Eddieのソロ。バンド形式ではありますが、非常に冷たい印象を与えます。以後、EddieはTVや映画音楽の作曲とプロデュースの道へ。あぁ、もったいない。
[2008/10/10]

